担当した産業は、自動車や建機などの機械分野。研究本部は4階建てで、横長に大学の研究室のような部屋が並び、総勢は約150人。「機械部屋」と呼ばれた自分たちの部屋は研究員が7人、一般職の女性が2人いた。どの部屋も人間関係が家族のように濃厚で、人見知りの身にすぐには入っていけない。でも、誰かの誕生日祝いや仕事の節目に同僚と北鎌倉の蕎麦割烹の店などへいくようになり、一匹狼の風情も薄れていく。

 そんななか、同期入社の女性とデートを始め、冒頭の住宅メーカーの営業強化策を担当していたときに結婚する。妻の実家は鎌倉から近い茅ケ崎市で、結婚して茅ケ崎に住んだ。

 鎌倉研究本部からアジア事業開発部へ異動し、34歳で台北事務所長に就任。翌年、支店に衣替え。以降は、コンサルの部長や本部長など管理職が続き、調査や分析の現場から離れた。もちろん、部下に付き添って客のところへいき、自分なりの視点やヒントを出すことは社長になっても続けてはいるが、現地・現物に直に触れることがないのが寂しい。

 執行役員時代の09年4月、旧野村コンピュータシステムの事業を継承し、売上高の多くを占めるシステムコンサルティング事業本部の副本部長になる。旧野村総研の調査部門とは合併した後も人事交流が乏しかったが、双方の架け橋役を担った。

 ちょうど時代に合っていた。それまではコンサルとシステム構築の二つを持つことが会社の強みで、両者が連携しなくても客は困らない。「経営戦略を考えて下さい」と「ITをつくって下さい」は別だった。でも、デジタル化の進展が状況を大きく変え、客は「ITを使ってビジネスモデルを変えなければならない」と両者の融合を求めてきた。数年前まで、描いたこともない光景だった。面白い。やってみて、そう思う。「面白さを知って、楽しむ」という『源流』の先に待っていた世界だ。

 2016年4月、社長に就任。2019年6月に会長も兼務したが、まだ63歳。自らの進路にも、いろいろな仮説を考えているようだ。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2023年8月14-21日合併号