3週にわたって「週刊文春」が報じてきた、木原誠二官房副長官の妻X子さんの元夫が“怪死”していた事件に動きがあった。7月20日午後、東京・霞が関の司法記者クラブで、元夫の遺族3人が警察に再捜査を求める上申書を大塚警察署長に提出したことを明らかにした。なぜこのタイミングで会見を開いたのか。遺族が世間に訴えた事件の”謎”とは――。
* * *
2006年4月10日、風俗店勤務の安田種雄さん(享年28)が都内自宅で不審な死を遂げた。
第一発見者は安田さんの実父。同年4月9日、実父が種雄さんの携帯に電話をかけたがつながらず、折り返しもなかったことから、翌日の午前3時ごろ種雄さんの自宅へ向かったという。自宅玄関の鍵は開いており、実父が中に入ると、室内には変わり果てた種雄さんが横たわっていた。
20日の会見で、実父は当時の心境をこう振り返った。
「まさかそこで変わり果てた息子を見つけることになるとは思ってもいませんでした。息子は血まみれで、目を見開いたまま倒れていました。血は天井まで飛び散っており、右太ももの2~30センチ先には細長いナイフがきちんと置かれていました」
当時、種雄さんにはX子さんという妻がいた。X子さんは現在再婚しており、その相手こそ、岸田文雄首相の側近である木原誠二官房副長官なのだ。
週刊文春はこの事件について3週にわたって詳報。X子さんが種雄さんの事件の重要参考人として警視庁に聴取されていた過去などを報じ、政界の要人である木原氏の存在が捜査に影響を与えたのではないかと追及した。
週刊文春(7月5日発売号)は、捜査関係者のコメントとして「ナイフを頭上から喉元に向かって刺したと見られ、その傷は肺近くにまで達していた。死因は失血死。さらに安田さんの体内からは致死量の覚せい剤が検出された」という見解を紹介。当時、警察は種雄さんの死は覚せい剤乱用による自殺ではないかという見立てだったという。
だが、実父は会見で「自分をそんなふうに刺したうえで、足元にナイフをきちんと置いてから絶命するなどということが果たしてあり得るのでしょうか」と懐疑的な見解を述べた。
06年当時、種雄さんとX子さんは婚姻関係にあったが、夫婦関係が悪化していた時期で、離婚の話が出ていたという。
覚せい剤乱用による自殺、として処理された事件が大きく動いたのは、12年後の18年春だった。
週刊文春の報道によれば、ある日実父の携帯が鳴り、警視庁大塚署の女性刑事から「息子さんのことで捜査をしている。不審な点が見つかった」との連絡があったという。
特命捜査対策室特命捜査第1係を中心に30人以上の精鋭が集められ、再捜査が始まったという。
その後、木原氏と再婚していたX子さんの実家にも18年10月、家宅捜索が行われた。ところが、1カ月後の11月にこの事件に尽力していた刑事が捜査員のメンバーから外され、その後、実父は世田谷署に呼び出され、捜査の縮小を告げられたという。
実父は会見でこう語った。
「種雄が亡くなった時もまともに捜査されず闇に葬られ、諦めて生きてきました。それが12年後に再捜査していただけると連絡があった時には心から喜びました。種雄の無念を晴らしてやると息子に誓いました。しかし捜査が始まり1カ月も経たないで捜査の縮小が告げられ、捜査班は解散されてしまいました」
そして、警察への思いを涙を浮かべこう話した。
「警察に対する不信感があり、捜査1課の刑事さんには最初冷たく当たってしまったこともあったのですが、私たち家族の思い以上に親身になってくださり、今では感謝しかない。今月17日付で、大塚警察署長に再捜査を希望する上申書を提出しました。熱い思いで捜査にあたってくれた方々にもう一度仕事をさせてください。再捜査をお願いします」
週刊文春はこれまで、同事件の捜査に関わった10人超の関係者を取材したという。その過程で、複数の捜査員が「自民党の政治家の家族ということで捜査のハードルは上がり、より慎重になった」と口をそろえたと報じた。
会見には種雄さんのきょうだいも出席し、こう思いを述べた。