
ウクライナのバレエ界は、2022年2月のロシア軍の本格侵攻で全てが変わった。侵攻後、ウクライナ国立バレエが拠点とするキーウの国立歌劇場はただちに閉鎖。ダンサーの半分以上が海外へ避難した。オリガさんはその時の心境をこう振り返る。
「バレリーナという仕事が戦時下のウクライナに必要なのか、と自問せざるを得ませんでした」
オリガさん自身も13歳の長男とドイツへ避難した。それでも、ロシアの戦争から逃れられなかった。足先が痛み出したのは、2022年の春のこと。
「ドイツ人の医師から『戦争のストレスで免疫力が落ちている』と言われました。足の関節にヒアルロン酸を注射して治療したのですが、やがて炎症が起き、腫れてしまったのです」
戦争が母国で続くことによるストレスに心身をむしばまれたのだ。踊れない状態が続き、ドイツで8回も足の手術を受けた。
「もうバレエは無理なのかしら。でも、私の人生はバレエなしでは考えられない……」
オリガさんは10歳で本格的にバレエを始め、バレリーナの最高位、プリマ(「プリンシパル」ともいう)に上りつめた。プリマは160人が所属するウクライナ国立バレエでも、女性では数名しかいない。不安を抱えたオリガさんのもとへ、日本から依頼が届いた。
プリマとして、主演してほしい――。
2022年12月から日本で、古典バレエ作品の名作『ドン・キホーテ』を上演するという。その主役の活発な娘「キトリ」を踊ってほしいというオファーだった。オリガさんは「復帰したい」とのモチベーションが高まった。
オリガさんは半年ほどで避難生活を切り上げ、9月、キーウに戻った。11月、日本公演に向けた稽古が、再開されたウクライナ国立歌劇場で始まった。ただ、足の痛みはなおらない。さらに悪いことに、ロシアのミサイルが落ちるたび空襲警報が鳴る。でも、どのダンサーも歌劇場の地下壕へ行こうとはしない。オリガさんも舞台に残って稽古を続けた。それだけ日本公演にかけていた。