戦国における織田信長の築城について書いた本で、最初のほうは地形の話やら遺跡の石垣の話やらで学問ぽく、それも面白いんだけれど途中から岐阜城の話になって、それがもうたいへんな衝撃だった。
 岐阜城は金華山にある山城で、ロープウェーで上ったら天守閣跡がある。ああ金華山頂に天守閣ね、としか思ってなかったんだけど、実体はそんなもんじゃない。たいへんな城なんですよ! 山のふもとから城が続いているのだが、客とはそのふもとの御殿で会う。ふつうの客はそこから上には行けなくなっていて、つまり一番上に信長のプライベートスペースがある。奥さんや側室や子供と、ごく少数の選ばれた部下しか入れない。その中間に、いろんな武将の息子の少年たちが、上と下との連絡役やその他使い走りとして100人ぐらいはいる広間がある。ルイス・フロイスが信長のプライベートスペースに招いてもらい、窓から外を見ると眼下に美濃と尾張が一望できる絶景が広がっていたという記録を残している。金屏風が立てめぐらされた美しい部屋で、西洋を知ってるフロイスもびっくりの壮麗な館。そこに信長が自ら食事の膳を持ってきてくれたそうだ。
 考えてみてほしい。金華山の頂上ってけっこうな高さだ。今だってロープウェーでなきゃ上る気にもなれない。それが、ふもとから山頂まで城が続いていたなんてすごい! 筒井康隆の短編に「遠い座敷」という、山の上と下の家が座敷によって階段状に続いていてそこを下りていく少年を描いたのがあるが、まさにソレではないか! それにしても、下に来た客人が上まで通されるとなった時に、ひと苦労なんではなかろうか。上にいる奥さんとか側室は、いったん上がったら下りるのはイヤだろうなあ。
 しかしふと考えると、山の上でごくプライベートな豪壮な暮らしって、六本木ヒルズの上階に住むIT成金の趣味と変わるところはないような……。まあしかし、スケールは大きい男だ、織田信長。

週刊朝日 2013年3月8日号