
「小さい頃からユニコーンやプリンセスプリンセスのCDを聴かせてくれて。亡くなって肉体はなくなったけど、曲を聴くと“あんなこと話してたな”って思い出すんです。音楽には思い出を蘇らせたり、日常に彩りを与えてくれる。私も音楽を通して、誰かの人生に寄り添いたいと思うようになりました」
■就学支援金とアルバイトで高校へ
音楽の道を志した彼女が選んだ進学先は、芸術系の高校。就学支援金を利用し、バイトに明け暮れる高校生活だったという。
「夢を叶えるために芸術系の私立高校に行きたかったんですけど、実家が裕福ではないので、就学支援金を利用しました。母親は海外の人で、日本語がわからないところもあるので、学校とのやりとりも全部自分でやったんですよ。高校に入学してすぐ、飲食店でバイトをはじめて、朝に仕込みをやって、学校行って、放課後はまたバイトという生活でしたね」
「バイトで忙しかったし、好きなバンドのライブにも行ってたので、そんなに勉強してないかも(笑)」というアンジェリーナ1/3さん。自分で学費を払う大変な高校生活を送ったわけだが、「他の人をうらやましいと思ったことはないですね」という。
「誰かと比べてお金が増えるわけでもないし(笑)、小さい頃から“ウチは裕福じゃないから、しょうがない”って受け入れてました。父、母、祖母にすごく大切に育ててもらったし、不登校だったときも“家でやれることを探せばいい”と言ってくれて。お金はなかったし、ドラマみたいな理想の家族の形ではないけど、私にとってはすごくいい家庭環境でした」
■デビューのきっかけは文化祭
ロックバンド“Gacharic Spin”にマイクパフォーマーとして加入したきっかけは、文化祭の弾き語りライブをリーダーのF チョッパー KOGAがたまたま見て、オーディションに誘ったこと。初ライブは都内の有名ライブハウスLIQUIDROOMだった。
「オーディションで“LIQUIDROOMのステージに立つのが夢です”と言ったくらい、憧れの会場。最初のライブでいきなり叶っちゃいました(笑)。ステージの上で、号泣しちゃったんですよ、私。それまでは自分の感情をあまり出さなくて、イヤなことがあっても何となく笑って、“しょうがないよね”っていうタイプだったんです。でも、全力で表現しているメンバーを見て、“全部出さないと、何も伝えられない”と思って。生まれて初めて、自分に正直になれた瞬間かもしれないですね。親友にも“あんなに泣いているアンジーは初めて見た”と言われました」