
失われてしまったもの、言葉にならないものをつぶやくように表す小川洋子の小説世界。新作の長編『小箱』をそっと開けば、その小さな声が暗闇から聞こえてくる。AERA 2019年11月18日号に掲載された記事を紹介する。
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心に痛みを抱える人、なにかにとりつかれた人。そんな人たちが登場する多くの小川作品は、静けさのなか死のにおいがつきまとう。だけどなぜか、読み終わると心の奥が安らぐ。
7年ぶりの書き下ろし長編『小箱』の舞台は、元幼稚園。小さな人たちが生き生きと遊んだ場所なのに、その小さな人たちはだれもいない。はじまりから、すでに死んでしまっている。
講堂にびっしり息づくのはガラスの小箱だ。「子ども一人分の魂があちらの世界で成長するのにちょうどいい大きさ」の。おさめられているのは遺品ではない。九九の暗記表もお姫様の塗り絵も野球のサインボールもお酒のミニチュアボトルも、「死んだ子どもの未来を保存するための箱」なのである。語り手の「私」は元幼稚園に暮らし、番人のように小箱や訪れる親たちを見守る。
亡くなった子どもの魂がおとなへと成長し、そして結婚式をあげる。なんて融通無碍(ゆうずうむげ)なのか。小さな箱のなか、失われた命の時間が流れ続けていく。
これは、作りごとではない。
「ムカサリ絵馬」という風習が東北の一部にある。ムカサリは結婚や花嫁をさす東北地方の言葉で、ムカサリ絵馬は若くして亡くなったわが子が死後の世界で結婚できるよう、結婚式の様子を描いてお寺に奉納するのだという。
小川さんはムカサリ絵馬のことを知り、どうしても見たいと6年前に青森や岩手、山形を旅した。そこで目にした。結婚式を描いた絵馬や額絵、ガラスケースに夫婦人形やお菓子、缶ビールをおさめたものも。小川さんは言う。
「死んだ子どもをなお成長させたいという親の気持ちがせまってきたんです、切実に。ひとごとじゃない。そうせざるを得ない人たちがひっそりやり続けていることに心ひかれました」