批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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東京・池袋で「プラータナー 憑依のポートレート」という舞台を見た。ウティット・ヘーマムーンという1975年生まれのタイの作家が原作を担当し、「三月の5日間」などで知られる岡田利規が演出を担当する国際共同企画だ。激動するタイ政治に翻弄される若者が主人公で、4時間を超える舞台だったが退屈せず楽しんだ。
日本ではタイの現代史はなじみが薄い。筆者も観劇を期に学んだにすぎないが、91年、2006年、14年とわずか30年で3回ものクーデターが起こり、軍政とポピュリズムがめまぐるしく交代するその歴史はすさまじい。ウティット氏はそこに半生を被せて物語を紡いだ。性の懊悩(おうのう)と社会の動乱が重ねられる作風は、ミラン・クンデラや大江健三郎を想起させる。実際に大江の影響は強いという。
今年は天安門事件が起きベルリンの壁が崩れた1989年から30年にあたる。ウティット氏のような作家の登場は、ポスト冷戦もひと世代の時間が経ち、最初の総括の時期に入り始めたことを意味している。この30年は、情報化とグローバル化により、国際秩序だけでなく生活もまた激変した30年だった。今後タイだけでなく、この時代を振り返る物語が世界中で書かれていくだろう。
日本はどうか。冷戦後の30年はほぼ平成にあたる。今後日本でも、同じく平成を振り返る小説や映画がつくられていくだろう。けれど、それがどれほど政治に関心を寄せるかは心もとない。政界再編に始まり、民主党政権が生まれ国会前デモがあったこの30年は、本当は激動の時代だった。けれど振り返るとなにも起こらなかったかのようにも見える。自民党はいまだに与党で、改憲もなく、沖縄は基地だらけで北方領土も返ってこない。高齢者と国債残高だけは増えた。
ウティット氏と酒席で一緒になる機会があり、自国の政局をどう思うかと尋ねてみた。政治家たちの対立は表面を撫でるだけで、国の核心はまったく変えていないのだと苦笑して答えてくれた。おそらく日本でも同じことがいえる。月末の参院選が、表面を撫でるお祭りに終わらないとよいのだが。
※AERA 2019年7月15日号