批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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『テーマパーク化する地球』(ゲンロン)という新著を出版した。震災後書きためた文章を集めた評論集である。
この8年で日本も世界もかなり変わった。日本では震災の影響が大きいが、世界的にみれば変化の中核は情報技術への失望にある。
2000年代には、まだ情報技術が自由と民主主義を強化すると信じられていた。いまや世界はフェイクニュースに振り回され、GAFAに代表されるプラットフォームの覇権は、プライバシーへの大きな脅威だとみなされている。AIにはまだ大きな産業的発展の余地があるが、スマートシティーにしろロボットにしろ、その導入が私たちの生をどれだけ「よく」してくれるかは未知数だ。むしろ現実は、政治においても日常生活においても、多くの決定権が機械に譲り渡されつつあり、人々はその傾向に不安を抱き始めている。私たちはこのままでは「クリックする動物」に成り下がってしまうのではないか。
哲学や人文学は、本来はこのような状況でこそ力を発揮するはずである。けれど状況は逆のようだ。この数年、学界では「ポストヒューマン」や「トランスヒューマン」といった言葉が流行し、人間をいかに超えるかの議論が盛んだ。しかし、本来はそのまえに人間をいかに「守る」かを議論すべきではないか。それがいかに保守的にみえたとしても、人間的な「ふつう」の幸せを希求する人々はけっして消えない。哲学は資本家と先進的なエンジニアだけのものではないのだ。
だから新著には「人間であり続けるために」とのキャッチコピーをつけた。これは必ずしも技術と資本主義への抵抗を意味しない。人間は欲望に駆動される動物である。抵抗には限界がある。だから最先端の技術と資本主義を受け入れていい。けれど、そのうえで、それでも人間性を守り抜く知恵を提示すること。それが現代の哲学者の責務だと考える。
新著は評論集なので、体系的議論が展開されているわけではない。ITの話題が中心なわけでもない。けれどもこの8年の悩みが詰まっている。本欄の背景も見えると思うので、ぜひ手にとってほしい。
※AERA 2019年7月1日号