10月6日、築地市場は最後の営業日を迎え、83年の歴史に幕を下ろす。マグロの競りでみられる「手やり」や「符丁」など独特の文化を守ってきた。そして「魚河岸」は2.3キロ離れた豊洲市場に移る。開場は10月11日。
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初めて築地市場に足を踏み入れた日のことが忘れられない。裸電球の下、見たこともない色とりどりの魚介類が整然と並んでいた。それにもまして人と人とがぶつかりあうたびに放たれる熱気と、周囲を飛び交う怒号ともとれる気勢に思わず足がすくんだ。顔見知りになれば優しく義理人情に厚い築地の人々だが、一日の稼ぎを左右する夜明け前の時間帯は、どの店の主人の表情からもよそ者を拒否する冷たい意思を感じたものだ。
午前1時。全国で水揚げされた水産物を乗せたトラックが市場になだれ込む。ヨーロッパの駅舎を彷彿(ほうふつ)とさせる優美な曲線でデザインされた水産仲卸棟は、かつてこの地にあった日本国有鉄道(国鉄)が有する東海道本線貨物支線の終着駅「東京市場駅」の跡。日本の物流の中心が「高速道路」ではなく「鉄道」だった時代の置き土産だ。東京の街が寝静まっている頃、すでに市場では大勢の人が忙しく手を動かしていた。築地市場の面積は東京ドーム5個分。働く人の数は1万人を超える。これほどのスケールを持つ水産市場は世界でも類がない。築地市場が世界の「TSUKIJI」と呼ばれるゆえんだ。
築地では1日に1500トンもの水産物が取引されている。天然物だけでなく養殖や冷凍、飛行機で海外から運ばれた輸入品もある。中でもマグロは築地の「顔」でもあり、日本近海で捕れる希少な天然の本マグロ(クロマグロ)はその頂点に君臨する。値段を決める「競り」は他のどの魚種よりも厳粛な雰囲気の中で行われることで知られる。マグロの競りを一目見ようと、大勢の外国人が押し寄せたこともあった。
朝5時。50メートルプールを一回り大きくした広さのマグロの競り場には、何やらプレートをつけた帽子をかぶった男衆が黒山の人だかりをつくっていた。
築地に100店舗あるマグロの仲買の中でも、国産の本マグロだけを扱う「石司(いしじ)商店」の3代目・篠田貴之さんは、マグロの競りほど難しいものはないと語る。
「マグロは築地の華。高いからおいしいとは限りません。魚を割ってしまえば簡単ですが、競り場に並んだマルの状態で魚の良しあしを見分けるには、仲買人の経験と感性が物を言います」