「番組で共演していますが、笑顔のイメージしか残っていない。花で例えるとひまわりのような人でした」(井上さん)。病状、死因については本人の遺志を尊重し明かされていない (c)朝日新聞社
「番組で共演していますが、笑顔のイメージしか残っていない。花で例えるとひまわりのような人でした」(井上さん)。病状、死因については本人の遺志を尊重し明かされていない (c)朝日新聞社
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 元フジテレビアナウンサーの有賀さつきさんが先月30日に死去した。52歳だった。早すぎる死を悼む声が続々と寄せられている。

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「楽しくなければテレビじゃない」をキャッチフレーズに、1982年から12年連続で視聴率三冠王に君臨したフジテレビ。88年に入社した有賀さつきさんは、同期入社の花田(旧姓・河野)景子さん、八木亜希子さんとともに、右肩上がりを続ける同局の象徴的存在だった。

 入社当時の3人を取材した経験がある芸能リポーターの井上公造さん(61)は語る。

「3人の登場でフジテレビは女子アナ黄金期を迎えました。3人とも個性的でした。よく八木アナが『河野さんは石橋を叩いて渡るタイプ。自分(八木さん)は叩いて石を割ってしまうタイプ。有賀さんは確認せずに渡っちゃうタイプ』と言っていましたが、まさしくそういうタイプでした」

●世代の先頭を走った

 同時に、まじめな努力家でもあったという。

「フリーになって初めて関西の番組に出ることになった時に電話をもらいました。台本にほとんど何も書かれていないが、関西はこんな感じなんですか?と。確かに関西はフリートーク中心で、彼女は台本は読み込んでいくタイプ。それを相談してくるところが彼女の性格。でも関西流になじむのも早かった」

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