非正規社員、失業、高齢化、病気――。いま、奨学金や住宅ローンなどの借金返済に困る人が増えている。明るい未来を担保にして借金が出来る時代は終わりつつあるのか。AERA 2017年4月3日号では「借金苦からの脱出」を大特集している。
華やかに見える芸能界も一寸先は闇。抱える借金は億単位だ。だが、生き残る人は強い。追いつめられても、つぶされることなく、再び花を咲かせる力とは。モデルでタレントの林マヤさんに、極貧生活について話を聞いた。
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お金がない。もう1円も引き出せない。そんな状況に気づいたのは、マンションの電気もガスも止められてからでした。膨らんだ借金は1億円です。
原因は、1991年、モデルを辞め、ジャズシンガーとして、自腹で始めたライブ活動でした。当時、モデルとしてかなりの額を稼いでいて、浪費癖がついていました。ライブもいい会場を押さえ、衣装やアクセサリーにこだわり、ミュージシャンも超一流に頼みました。カメラマンだったダーリン(夫)をプロデューサー兼マネジャーにして、お金に糸目をつけなかったんです。
だって、私はホンモノだから。パリコレモデルの林マヤだから。
その結果、私たちが陥ったのはカードローン地獄でした。食べるものも買えず、暗い部屋で大安売りのネコ缶を食べる日々。それでも、プライドが邪魔をして働けませんでした。心を病んでいきました。人が嘲笑っている気がして、外に出る勇気も生きる勇気もなくなって……。
もう死のうと夫婦で富士山に行ったときです。売っていたソフトクリームを、車内の小銭をかき集めて買って、2人で食べました。おいしかった。そこで、生きる決心がついたんです。
それから、借金を返すために猛烈に夫婦で働きました。朝から晩まで弁当屋や飲食店で働き、ポスティングや内職もしました。何度「もう疲れた、やめたい」と思ったかしれません。
8年前、完済が見えてきて、茨城での田舎暮らしを決めました。モデル時代のダイエットがたたって体を壊していたし、都会疲れもあって、自然のそばでゆっくり暮らそうと思ったんです。借りた家には100平方メートルの畑がついていて、野菜作りを始めました。それがとても楽しくて。いま、2人でレアベジタブルを作っています。実ったものをいただくと、素朴な感動があります。