とした上で、天皇自身が象徴天皇の務めの中核は国事行為ではなく、憲法に規定されていない私的行為の宮中祭祀や公的行為の行幸だと言っている。しかもそれが今後も「常に途切れることなく、安定的に続いていく」ことを希望している。ですが、宮中祭祀(さいし)や行幸は明治以降に本格的に作られたり、大々的に復活したりしたもので、まるで歴史上ずっと続けられてきたように継承していかなければならないのはおかしい。
常に天皇・皇后が2人一緒というスタイルは平成になって確立されたもので、戦後ずっとそうだったわけではありません。僕の予想では、代替わり後はこのスタイルは維持されない。国事行為以外の行為が大幅に縮小され、より憲法の規定に沿うような天皇制へと修正されていくのではないかと思います。
また、天皇の退位後は三重権力状態になる可能性があります。まだ退位後の名称は決定していませんが、仮に「上皇・皇太后」となり、新天皇・皇后がいて、秋篠宮が「皇太弟」となる。三者並び立つ状況です。平成流のスタイルを変えようとする新天皇・皇后に対し、「皇太弟」夫妻はむしろそのスタイルを踏襲しようとするかもしれません。
今の天皇・皇后は行幸啓を続けることで国民一人ひとりとの直接的な関係を築こうとしましたが、代替わり後は適応障害で長年苦しんできた新皇后の存在そのものが、ストレスを抱えて苦しんでいる人間にとっての心の支えになるような、別の象徴天皇制の在り方もあり得ると考えています。
(構成/編集部・深澤友紀)
※AERA 2017年1月16日号