トランプ氏が繰り返した「壁を造る」というフレーズは、彼がメキシコに行って否定された後も変わらず言い続けられた。そこにはシリアスな政策論議の雰囲気はなく、お決まりのフレーズを打ち出して観衆が盛り上がるという、お得意のテレビショーを見ているようだった。自分たちが苦労している一方で、不法に越境してくる人々の権利が拡大することへの強い不満であり、オバマ大統領の出生疑惑についても「自分たち白人グループがついに権力の座から引きずり降ろされた」ことへの鬱積した不満の表現、それ以上でも以下でもなかったのだ。
●正論からの批判は不発
それに対して、多くのメディアは、そしてヒラリー陣営は全く気づいていなかった。それどころか、一本調子で「正論からの批判」を行い、最後には侮蔑的な言葉まで浴びせたのだった。そこには絶望的な「ボタンの掛け違え」があった。
その奥には、「知性だけが、知的職業だけが尊敬される」という先進国モデルへの反発があると思われる。自分たちは少なくとも「額に汗して働いてきた」が、そのような労働はどんどん外国に流れて、国内は知的な労働だけが富と名誉を独占しているという不満だ。そうした不満がある中で、トランプ氏は「私は教育水準が低い人々が大好きだ」というメッセージを発信し続け、一方でヒラリー氏は「ニューエコノミーを実現するためには学び直しの機会を無償提供する」という政策を大真面目で訴え続けた。単なる「毒舌トーク」は、そのような不思議な現象を生んでいったのである。
では、トランプ支持者が実際に「教育水準が低い」のかというと、決してそうではなかった。だが、自分は少なくとも最高に知的な人間ではないし、知的な先端技術に関わっているのでも「ない」という人々は、トランプ氏のメッセージに吸い寄せられると同時に、ヒラリー氏の正論には反発を示したのである。そんな中で、製造業が斜陽となった「ラスト・ベルト」と言われるオハイオやペンシルベニアなどの中部の票が、予想を上回る勢いでトランプ氏に流れていったのだろう。
●多様性の否定は問題
トランプ現象のことを「反知性運動」だという形容がされるが、「知的なるものへの敵意」があったり、破壊衝動があったりするのかというと、それは少し違う。そうであれば、中間層の支持を集められるわけがない。「知的ではない」自分たちにも「名誉」があるという「異議申し立て」が静かに行われたという面が大きいのではないだろうか。