昭和の高度成長を実現したのは、戦時型のシステムだった。戦後日本の出発点を知ることで、いま取り組むべき課題が明らかになる。早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問で、自身も1940年生まれの野口悠紀雄さんが「1940年体制」について語った。
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係長は、34年組だった。課長補佐は31年組で、トップの事務次官は12年組。野口悠紀雄さんは、1964(昭和39)年に大蔵省(現・財務省)に入省したから、39年組ということになる。入省年次によるヒエラルキーは、頂上まで滑らかに続いていた。もちろん、敗戦の年に入省した20年組の上司もいた。
「切れ目なく連続していました。驚くべきことに、大蔵省に敗戦はなかった」(野口さん)
その驚きが、「1940年体制」を着想する原点になった。
GHQによる戦後改革を経て現在の日本があるとすると、戦中と戦後を隔てる大きな断絶が45年にあったことになる。しかし、野口さんが着目したのは、戦時中の40年前後に導入された一群の施策だ。それらは産業界から金融、財政、官僚制などに及び、戦時総力戦体制を支えた。
「敗戦時でなく、40年前後にこそ大きな断絶があり、そこで日本は戦前の体制とまったく違うものになった。この差は5年間しかないが、質的に非常に重要だと思います」(野口さん)
大蔵省に敗戦の年の断絶がなかったように、日本経済にも敗戦による断絶はなかったというのが「1940年体制史観」だ。