近所に、サンマルクというパン屋がある。関西では、しばしば見かけるチェーン店である。
レストランも、そこには併設されている。というか、レストランのほうが営業面積は、大きい。むしろ、パン屋がおまけであるかのような印象も、漂う。コースの料理を、当店自慢のパンとともに味わってくださいという趣向である。
そのレストランを、立派に見せようという思惑があってのことだろう。どの店も、店内にはグランド・ピアノが置いてある。そして、決められた時間がくると、ピアニストが小一時間ほど演奏をしてくれる。
うちの近所にあるサンマルクも、その点はかわらない。やはり、グランド・ピアノが置いてあるし、時々、生演奏も楽しめる。
その演奏ぶりじたいに、変わったところはない。こじゃれたレストランやホテルのラウンジでよく耳にするのと同じである。食事を豊かな気持ちで楽しめるようにという趣旨で、ピアノの音はつくられている。食べながら聴ける、いわゆるポピュラー・ピアノにほかならない。
曲目も、洋楽のポップス、映画音楽などが選ばれる。ジャズで愛好されてきたスタンダード・ナンバーも、しばしば耳にする。まあ、ありきたりのイージーリスニング・タイムだと言い切ってかまわない。
そのサンマルクで、この間、ちょっとした異変が、起こった。定期的にそこへ来ていたピアニストが、そこを辞めたのである。
そして、店内の掲示板には、ピアニストを募集しているという告知が張りだされた。店で弾いてくれる人を求める。オーディションは随時行うので、希望者は申し込んでほしい、と。
これを見て、まずこう思った。やってみようか。ピアノなら、もう十年ぐらい続けてきた。あまりうまくなはいが、知人たちの前で、しばしばステージを披露している。まったく可能性がないとも思えない。
もし、オーディションに受かれば、私は文字通りピアニストになる。誰はばかることなく、ピアニストという肩書きで、世間を渡っていくことができる。名刺にだって、ピアニストと刷り込めるじゃあないか。
晩年は、ナイトクラブのおじいちゃんピアニストになる。ホステスを相手にした人生相談で、余生は送りたい。こんな老後の夢へ向けて足を一歩踏み出す、その好機じゃあないか。
たとえば、金曜日の午後七時と午後九時に演奏がレギュラー化されたとする。そうすると、その時間にはほかの仕事が受けられない。注文があっても、断らざるをえなくなる。
某月某日の金曜日なんですが、夕方から講演をしてもらえませんか。シンポジウムに参加していただけませんか。とまあ、そういった依頼は、みな退けてしまえるのだ。
すみません、その日はちょっと、ピアノのステージがあるものですから…。
ああ、なんという心地よい響きであろう。ピアノの用事がありますから、人前でピアノを弾かなければならないものですから…。
私は、掲示板を見ながら、心の中で何度もそう繰り返した。未来の想定問答を思い浮かべ、うっとりしたのである。
だが、いくらなんでも、私の技量でオーディションに通るとは思えない。なるほど、素人の聴衆をちょろまかすくらいのことはできる。プロみたいですねという賛辞も、けっこう勝ち取ってきた。
しかし、専門家はだませない。音大のピアノ科へ行くような人は、私の技術的な問題点を、すぐに聴きわけよう。
でも、失敗したって、それはその時のことだ。オーディションの体験記なんかで、またいくつか原稿が書けるかもしれない。落選だって、原稿料収入の種になる。
あれこれ思いをめぐらせている私に、家族は、しかし、冷たく対応した。オーディションはやめてほしいというのである。
そのサンマルクは、私たちの家から、あまり離れていない。三分ほど歩けば、たどり着く。近所の家族も、しばしば食べに来る。そんなところで、父が、夫がピアノを弾いているのは、たまらなく恥ずかしい。頼むから、思いとどまってくれと言うのである。
まあ、家族の不安もわからないではない。噂好きな近所の某婦人がささやく姿も、想像することができる。けっきょく、私はオーディションを断念した。
それに、家族は私の技量を認めてもくれていたのである。オーディションになんか、受かりっこないとは思っていなかった。ひょっとしたら採用されるかもしれないと、そう恐れていたのである。私は、その怯えに満足し、家族の言い分を聞き入れたのだ。