男女産み分けの需要もあり、着床前診断は卵子提供、代理出産と並び「生殖ツーリズム」の一メニューだ。
だが廉価なアジアへの渡航ではさまざまなトラブルも。抜け穴を突く新たなビジネスの是非は?(ライター・古川雅子)
ネット上に流れる太文字を見て、ここまできたかと思った。
「100%男女産み分けを日本国内で実現」
インターネットには生殖技術にかかわる広告があふれている。「精子提供します」「卵子提供サポート」「代理出産実績No.1」……。お金さえあれば、技術を組み合わせて、子どもができると喧伝される時代だ。そしてついに、母のおなかに入る前に海を越え「渡航」した、「受精卵」から生まれる命までできるようになった。
広告は、「日本にいながら」「男女産み分け」も含む「着床前診断」ができるとうたう。
是が非でも男(女)の子、と考えている人なら、<世界基準の遺伝子検査>といった広告に心が揺らぐだろう。問い合わせ画面から情報を入力すれば、日本語資料が自宅に送られてくる。
海外の医療・検査機関へつなぐ医療事務代行会社「セル・アンド・ジェネティック・ラボラトリー(CGL)」(林竜司社長、東京都港区)のサービスはこんなふうだ。細胞を専門に扱う物流会社が、日本の医療機関から冷凍した受精卵をピックアップし、米国の検査機関まで輸送。遺伝子を調べて男女を判別した受精卵は、冷凍し直して、日本の医療機関へ戻す。通常2~3週間程度で検査結果が判明し、郵送される。性別、異常の有無などを確認した受精卵のなかから親の希望で選択したものが日本の医療機関に戻り、それを子宮に移植する。
CGLによれば、サービス開始から1年だが、希望者は予想以上に多いという。問い合わせ数は800件を超えた。2014年3月までに、120組を超す夫婦が申し込んだ。希望者の平均年齢は38歳くらいだが、25歳から45歳までと幅広い。
CGLのサービスを支える技術である着床前診断は、「体外受精」、それも、細いガラス管で精子を卵子の中へ注入する顕微授精の技術を使うのが前提。得られた受精卵の細胞の一部を採って、遺伝子または染色体を解析する技術で、本来は(1)重篤な遺伝病の検査目的で使われるが、倫理上の問題を孕(はら)む(2)ダウン症などの染色体異常検査(3)男女の判別にも応用できる。
●規制のない国へ
日本には着床前診断に関する法規制はない。1998年に、日本産科婦人科学会(日産婦)の会告(指針)が、(1)について日産婦に申請して承認された場合に限り認め、(2)や(3)は禁じている。かつて会告を破って国内で男女産み分けを含む着床前診断に踏み切った大谷徹郎・大谷レディスクリニック院長が、学会を除名処分された。今では「もう男女産み分けはしない」と公言している。
どうしても希望する人は、規制のない米国やタイなどへ渡航している。卵子提供、代理出産などと並ぶ「生殖ツーリズム」のメニューの一つだ。希望者は二通り。不妊治療が主目的で、「選べるなら女(男)の子が欲しい」と「オプション」として金額を追加して着床前診断を受ける人と、産み分けが主目的で、自然に妊娠・出産できるのに、着床前診断のために体外受精をする人だ。
男女産み分け目的で着床前診断を受ける場合、不妊症でなくても顕微授精による体外受精が必要となる。その妊娠率は全国的に見ると3割程度と低い。そのため体外受精を何度も行う必要が出てくる場合があり、出産に至るとは限らない。思いのほか費用と時間がかかる場合もあるが、あえて選ぶ人はいる。
●9割は女の子希望
卵子凍結や代理出産、着床前診断を含む幅広い領域での医療コンサルティングを米国で行うさくらライフセイブ・アソシエイツ(ニューヨーク)によると、06年頃から、米国に滞在し、産み分けを目的に着床前診断を受ける夫婦は、同社だけで年平均60組にものぼった。トータルでは600件近く相談を受けた。産み分け希望の日本人依頼者の9割は、女の子希望だった。理由はさまざま。ある女性は、「うちは男の子2人で、町で女の子を見ると涙が出てくる。どうしても女の子が欲しい」と話した。
ところが11年頃から相談が減り、今は男女産み分け目的のコンサルを行うケースは0組に。
「そうした需要の方は、廉価なアジアに流れていきました。まるでショッピングのように」
と代表の清水直子さんは言う。
米国で検査を実施し、渡航費、滞在費を含んだ場合の価格は、「おおまかに450万円前後」(清水さん)が相場だ。
「日本にいながら」のCGLは「費用についてはお答えできかねます」というが、ホームページには、タイに渡航した場合の総費用を200万~250万円程度と示した上で、「タイと比較しても同額程度」とある。米国に渡航する場合の約半分だ。
同様に米国の医療機関と提携しているコンサル会社「Gender Selection」のホームページでも、費用は約250万~300万円としている。こちらは、受精卵の細胞の一部を抽出し、米国の研究所に送る。抽出済みの受精卵そのものは送らないで冷凍。判定結果をデータとしてもらった上で、日本で凍結保存していた中から選択する。
●廉価な渡航でトラブル
「日本にいながら」のビジネスが生まれた背景には、アジアへ廉価なパッケージで渡航してトラブルが生じていることもあるだろう。今回の取材を通じても、さまざまな事例を聞いた。
一つは、不十分な医療体制。もともと不妊でもなく、健康な女性が産み分け目的のために体外受精に踏み切り、卵巣から卵胞を取りだす際に、卵巣過剰刺激症候群に悩まされた例があった。重症になると、おなかや胸に水がたまって膨れ、最悪の場合呼吸困難に陥る。排卵誘発剤を適切なケアのもとで適切に投与していれば防げた事例だった。
次に、費用の不透明さ。追加料金が発生し不審に思っていたところ、病院でもらった明細が業者に支払った金額の10分の1程度で驚いた、という人もいた。
もう一つは、医療機関・エージェントの情報提供の不十分さ。ある女性は、45歳を過ぎてから2度にわたる卵子提供による体外受精に踏み切った。オプションで着床前診断も受けた。着床に至らず、最後に望みを託す形で代理出産も依頼した。凍結してあった受精卵から選択して2人の代理母へ、計2回挑戦。だが妊娠しなかった。その後、残り10個の受精卵に異常があるとわかったという。
この間、何百万円にものぼる追加請求があった。
「着床前診断の結果は、どの時点でわかっていたのか」とエージェントに問い合わせても「医学的なことはわからない」といわれた。受精卵はすべて異常だったのに、知らずに何度も挑戦させられていたのではないか──。そんな疑念が残ったという。
●ガイドライン違反か?
海外で卵子提供を受けた人にインタビューを重ねてきた、白井千晶・静岡大学准教授は言う。
「ひょっとしたら、弱みにつけこまれたのでは?と感じている人もいます。説明を求めたり、疑問を呈したり、情報の公開を求めたりすることがはばかられるような、利用者とエージェントや病院間の力関係が生じてしまう。そこに問題がある」
日本の産科医は口々に言う。「産み分けは親のエゴ」「してはいけない行為」だと。
ただし、海を渡り、規制のない国では、比較的当たり前の検査というグローバルの時代ならではの二重基準の側面もある。
では、海外で受けるならば規制の埒外(らちがい)であるこの検査も、実際に判定が済んだ状態で国内に戻ってきた際、それを国内で「選別して」移植することは問題にはならないのか?
清水さんはこう指摘する。
「渡航して戻ってきた胚を移植することを日本の医師が手伝う形でサービスが成立しているとすれば、国内のガイドラインから外れる違反行為になるのでは」
清水さんは、企業名は伏せたが、日本側の協力医療機関を公言しないよう、同意書を求めるケースがあったと依頼者から聞いたという。
「ビジネスとの結びつきの中で、水面下で利益を得ている人がいるとしたら。グレーなマーケットになりうる存在」
●新たな検証が必要
CGLに問い合わせると、日本側に提携している医療機関はなく、もともと依頼者が不妊治療を受けていた医療機関が窓口になるとの説明だった。ただし、該当する窓口が見つからない依頼者に対しては、医療機関選びの相談にも乗るとのこと。また、基本的には依頼者自身と医療機関との信頼関係で理解を得た上で受精卵の凍結、あるいは戻ってきた凍結卵の移植を行っているため、それに協力した医師の口止めを依頼するようなことは「一切行っていない」とする。
日本産科婦人科学会倫理委員会委員長を務める苛原(いらはら)稔・徳島大学教授(産婦人科学)は懸念する。
「もし、産科婦人科学会員である医師が関わっているとすれば大きな問題。今後情報を集めていきます」
人が飛行機で海外に渡ってそうしたサービスを受けること自体にもさまざまな問題点が指摘されているが、もはや人ではなく受精卵が単独で渡航する時代。となると、新たな検証が必要になる。
※AERA 2014年5月26日号