今年、野球殿堂入りした田淵幸一氏。長年の付き合いがある東尾修氏が、その思い出を振り返る。
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野球殿堂博物館が1月14日に今年の殿堂入りを発表し、田淵幸一さんが競技者表彰のエキスパート部門で選ばれた。私も西武時代に田淵さんとともにプレーし、親しみも込めて田淵さんのことを「おっさん」とずっと呼んできた。もっと早く野球殿堂入りしてもおかしくなかっただけに、素直に「おっさん、おめでとう。ようやくだね」と言いたい。
西武ライオンズに球団名が変わった1979年。おっさんが阪神からトレード移籍してきた。おっさんとはその年に6試合バッテリーを組んだらしいが、1試合だけ強烈な記憶が残っている。7月11日の西宮球場の阪急(現オリックス)戦。初回に1点を失ったのだが、どうもキャッチングがおかしい。ベンチに戻ったときに「サイン違うんじゃない」と聞いたら、もちろん間違えていた。違う球種をパスボールすることなく捕球されてしまう自分にもがっかりだったが、おっさんは「サインを相手に盗まれているかもしれんからな。これでいい」と笑い飛ばした。捕手なのに、まったく悪びれない。その試合は8回4安打3失点と粘ったけど負けた。
試合以外でも思い出は尽きない。81年の高知での春季キャンプでは同部屋となったのだが、死球を受けた影響なのかどうか知らないが、風呂場の桶を持ってきて、寝るときの“しびん”がわりにしていたときがあった。「それはやめてくれ!」と悲鳴を上げたよ。そのときのキャンプだったかな。休日にお忍びで東京におっさんが帰ったら夜に高知へ戻る便が欠航。「どうしようか?」と電話がかかってきた。「とりあえずきょう中に大阪まで来て、あした朝一に乗れば……。こっちはうまくやっとくから」と話したが、翌朝の散歩にはいない。正直、ヒヤヒヤした。
いつだったか、右ひざの故障でスタメンを外れていたおっさんが「なあトンビ、一緒にファームへ行こうや」としつこいから2軍行きを決め、眠い目をこすりながら練習に行ったら、おっさんの姿がない。言いだしっぺはちゃっかり1軍に残ってホームランをガンガン打ちだした。