「車に乗っていては世の中が見えん」と移動も公共交通機関を利用。電車やバスの中でも常に題材をメモしていた。眉村さんが学生時代に属した柔道部の1年先輩で現在、大阪大学柔道部後援会長の後藤高明氏(86)はこう話す。
「主将だった村上の稽古はものすごく熱心でした。でも、よっぽどほれ込んでいたようで、後で奥さんになる高校同級生の悦子さんのノロケ話ばかり聞かされて部員は閉口していましたね。悦子さんが病気になって励ましに行ったとき、作家の人も多く来てくれて喜んでいたが、亡くなって相当落ち込んでいたようです」
40年近く前、柔道部の後輩だった筆者が記者になったとき、父が記者だった眉村さんは「記者の仕事は大変やぞ。おもろいなと思ったらなんでもその場でメモしとけよ。人間すぐ忘れるんや」などとアドバイスしてくれた。その言葉どおりの無数のメモと鋭い観察力、衰えぬ創作意欲、そして妻への愛情が多くの名作を生んだ。合掌。(ジャーナリスト・粟野仁雄)
※週刊朝日 2019年11月22日号