今は、早々と、鼻が高いか低いかなんて解るんですね。そんなわけで、まなほが私のだらしなさを偉そうにとがめる度、「胎教に悪いぞ!」とおどしつけると、シュンと静かになります。いい気味!
実は私もヨコオさんほどでないまでも、最近、体調がいちじるしく弱ってきて、起きているのがこたえられない程、躰じゅうがだるく痛い。三ヶ月毎に病院に通っているし、週に三回は、リハビリの名人が通ってきてくれているのに、老衰の度がとみに進んでいる感じがします。呆けも出はじめたかと不安になりますが、まなほに言わせると呆けは、もうとっくから出はじめていると断言します。昨日と今日が入れちがってこんがらがったり、朝と夜がひっくり返ったりします。「遂に来た!」という感じが切実で、いささかショゲています。何しろ満九十七歳だものね、数えだと、というと、六十六も若いまなほが、
「“数え”なんて知らないっ! そんな死語、もう使わないで!」
とわめく。ヨコオさんならわかってくれるでしょ。数えって、なつかしいよね。満になった時は、いきなり二歳若くなって、私たち娘どもは得したみたいに、大喜びしたものでしたよ。最近、
「百歳のお祝いは、どんな型にしますか?」
など大真面目な表情で訊いてくれる長いつきあいの編集者もあらわれました。もっと親しい人は、
「葬儀委員長は、どなたにお願いしますか?」
と訊いてくれます。約束出来ていた梅原猛さんが先に亡くなってしまったので、もうヨコオさん、あなたしかありませんよ。伏してお願いしておきます。辞世の句を一つと、内心あせっているけれど、これがなかなか出て来ない。でもこんなことを夢うつつに考えているのは、思いがけず優雅な心境で悪くありません。
この原稿が遅れているのは、すべて私のせいです。ハイ、認めます。心からヨコオさんにも、早くもこの原稿を愛読してくれているベテランで美人の看護師さんにも深く深くおわび申しあげます。ではくれぐれもお大切に。寂聴
※週刊朝日 2019年10月18日号