「今日までの人生、上出来でございました。これにて、おいとまいたします」。2018年5月、朝日新聞に掲載された石飛記者によるインタビューはそう締めくくられた。村上健撮影 (c)朝日新聞社
この記事の写真をすべて見る

 樹木希林さんが世を去り、15日で1年。生前の言葉をまとめた書籍への注目がやまない。最後のロングインタビューをした記者は痛感する。「樹木さんの魅力は、誰もまねのできない言葉のセンスにある」と。稀有(けう)な俳優は何を語ったのか。

 樹木希林さんが1年前に亡くなって以来、生前の言葉をまとめた書籍が雨後のタケノコのように刊行され、どれもが爆発的に読まれている。

 人気の理由の一番は、長くがんを患いながらも、平常心を失うことなく、亡くなる瞬間まで死を恐れていなかったという生き方にある。ただ、いかに樹木さんの生き方に憧れを抱いても、生真面目で常識的な文章でつづられていれば、ここまでのブームにはならなかっただろう。

 樹木さんの魅力は、誰もまねのできない言葉のセンスにある。

「私、自分の身体は自分のものだと考えていました。とんでもない。この身体は借りものなんですよね。借りものの身体の中に、こういう性格のものが入っているんだ、と」

 自分の身体が借りものだから大切にしないといけません。普通の人なら、そう言って終わるところを、樹木さんは、そこに「こういう性格のもの」が入っている、と続けるのだ。

 あるいは、がんの放射線治療で鹿児島の病院に通っている話。

「1日たった10分の照射。でも1カ月かかるのよ。人生を見つめ直す良い機会になったけれど、飽きてくるでしょ」

 確かに飽きる。ここまでは誰もが言いそうだ。

 しかし、樹木さんは医師にこんな要望を出す。

「先生、1週間で仕上げてもらえませんか。少々焦げてもいいですから」

 この「焦げてもいい」という表現は並の人には出てこない。

 死生観にしろ、子育て論にしろ、仕事に対する向き合い方にしろ、意表を突く単語や言い回しが飛び出すので、ついつい笑わされたり、感動したりする。決してシンプルではない樹木さんの思いの丈がスーッと染み込んでいく。

 私が樹木さんの言語センスの天才性を感じたのは、「神宮希林 わたしの神様」という東海テレビのドキュメンタリーを見た時だった。20年に一度の遷宮を迎えた伊勢神宮の界隈(かいわい)を樹木さんが歩く。この手の旅番組は、掃いて捨てるほど放送されているが、この番組は劇場公開までされた。

次のページ