大学は中退しました。養成所を出た後、俳優座ではなく、文学座に入りました。当時、文学座は、分裂騒動があって男優が少ない。俳優座には男優が大勢いて、文学座には30人くらい。文学座のほうがチャンスがあるかな!って(笑)。
そもそも俳優座で進路面談してくれた人に「小野君は文学座のほうが合うと思う」と言われたんです。(文学座の)杉村春子先生も大好きだったし、「あ、いいかも」と。
でもねえ、あるとき、「セリフが覚えにくいなあ」ってチラッとつぶやいたら、杉村先生に聞かれてしまって怒られましたよ。「小野さん! あなた、千回やった? 千回やったら、覚えられるわよ!」って。
――舞台デビューと同時にテレビからも声がかかるようになった。74年放送のNHK大河ドラマ「勝海舟」にも出演。この脚本を書いた倉本聰との出会いが大きな転機となった。
地井武男と2人でNHKの局内の喫茶店でお茶を飲んでいたら、角刈りの強面の人が近寄ってきて「ちょっといい?」。NHKのディレクターかな、って思ったら「倉本聰です」って。そのときまで僕、倉本さんの名前は知っていたけど顔は知らなかったんです。
声をかけられて、ええ?って思っていたら「来週からスケジュールどうなの? 君にピッタリの役があるけど」「あ、ちょうど大丈夫です!」って。ずっと大丈夫だったけど(笑)。倉本さんは大河ドラマ「勝海舟」の脚本を担当していた。で、「海軍伝習生・春山弁蔵」という僕が主役の回も書いてくださいました。
これが倉本さんとの出会いです。その後も「大都会」をはじめ、目をかけてくださいましたが、本当にありがたいことでした。
――映像と舞台。似て非なるものといわれるが、現場ではあまたの才能が交錯した。小野も両方の経験を積み、それぞれの道で開花していった。
「勝海舟」の後、倉本さんはフジテレビで連続ドラマ「6羽のかもめ」っていうのを書いたんです。これ名作ですよ。高橋英樹さんや淡島千景さんが出てらした。僕も出演させてもらいました。