宣伝部のヤツが考えたんだけど、うまいこと言うよね。根拠なんてないよ。ストップウォッチで計ったこともない。映画に大切なのは、リアルじゃなくてリアリティーだ。
でも、日本の俳優の中で、俺が誰よりもガンアクションが得意だったのは確かだぜ。ずいぶん練習したもんだ。どう扱えばカッコよく見えるか、鏡に映してあれこれ試しながらね。
当時の日活は、俳優もスタッフもみんな若かった。撮影現場も仕事っていうより、スポーツチームの合宿みたいな雰囲気があったね。監督にも、言いたいことを言ってた。そんな「日活らしさ」は、考えてみたら俺たち1期生が作ったわけだけどな。
例えば、指を左右に動かして、舌を鳴らして「チッチッチ」とやる動作。ああいうのも自分で考えて、監督さんに「こういうのはどうでしょう」って提案していく。それがいいとなったら、次からは脚本に「チッチッチ」って書いてあるんだ。映画の世界がイキイキしてて、毎日が面白かったな。
7年目の61年に、ようやく主役が回ってきた。「ろくでなし稼業」っていう映画なんだけど、自分の顔をいじるようなろくでなしにはピッタリってことかな。アハハ。なかなか好評で、続編も何本かできたんだぜ。誰かが数えてくれたんだけど、主演作は54本あるらしい。
主役をやるようになる前に、アキラやチャンユーといった後輩が人気スターになっていた。そのうち自分にも回ってくるだろうと思っていたから、嫉妬はなかったね。芸能界で嫉妬したらそれっきり。俺はシシド錠で、シット錠じゃない。
ヤツらが日活を引っ張って、映画という娯楽の王様を盛り上げてくれたから、俺たちも楽しく俳優をやっていられた。それに、映画はひとりじゃできない。脇を固めてる俺たちも同じ映画俳優だし、いっしょに作品を作ってる仲間だ。何なら、俺が脇をやってるから、このシャシンはしまってるんだ、自分がいなかったら成り立たないんだ、ぐらいのことを思ってたね。
さんざん脇をやったおかげで、自分が主役をやるときも、脇の人の気持ちがわかったっていうのはあるかもしれない。主役だから気分が違うとか、演技が変わるとか、そういうことはなかったなあ。ただ、客が入らないと主役の責任になる。そこは強く感じたね。
――その後、映画俳優としてだけでなく、テレビの世界でも活躍した。バラエティー番組やコメディー映画で「エースのジョー」を自らネタにすることもあった。
「オレはこう見えても、チャンユーやアキラとやりあってたんだ」っていうセリフを俺から提案したこともあったよ。マカロニウエスタン風の衣装を着てね。自分が宍戸錠だってことを遊んでたんだな。