『ビフォー・モータウン:ア・ヒストリー・オブ・ジャズ・イン・デトロイト』ラーズ・ビョーン/ジム・ガラート著
『ビフォー・モータウン:ア・ヒストリー・オブ・ジャズ・イン・デトロイト』ラーズ・ビョーン/ジム・ガラート著
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 多くの人々がデトロイトと音楽について考えるとき、なによりもまずモータウン・サウンドを思いつくものである(注:モータウンとは、モーター・タウンの略記)。しかしデトロイトは、注目すべきジャズ史をもち、それが、後にモータウン・サウンドとして知られるものに大きな影響を与えた。これは、ともすれば忘れられがちな事実である。

 本書『ビフォー・モータウン』は、デトロイトのジャズ史を初めてテーマとして取り上げ、この町がアメリカのジャズの発展において果たした重要な役割を明らかにする。その歴史は、マッキンニーズ・コットン・ピッカーズやジーン・ゴールドケットのオーケストラに代表される 1920年代のビッグ・バンドに始まり、「ブルー・バード・イン」といったクラブを中心に繁栄した1950年代のモダン・ジャズ黄金期へと続く。

 デトロイトのジャズ・シーンが、さまざまなミュージシャンやクラブのオーナーの証言によって息を吹き返し、時代色豊かな写真や広告(チラシ等)とともに、独特の雰囲気を放つ。また、生気あふれるジャズ界は、社会的な背景、特に黒人と白人の変わり行く関係を投影するものでもあった。

『ビフォー・モータウン』は、きわめて貴重な記録である。

●本文より抜粋

エルヴィン・ジョーンズの証言

 俺は1949年に除隊した。デトロイトには、「ブルー・バード・イン」というクラブがあったんだ。俺はそこで、ブルー・ミッチェルと仕事をしていた(1950年代)。俺はブルー・ミッチェルに雇われたんだが、彼と会う前からクラブへ通い、ワーデル・グレイのグループやなんかの演奏を聴いていた。アート・マーディガンがドラマーだった。彼はいつも親切で、俺の助けになってくれた。彼が演奏に加われとよく言ったが、俺は加わろうと思わなかった。そういうミュージシャンと演奏するのはおこがましいと思ったからだ。俺にとって、雲の上の存在だった。そういうミュージシャンと知り合い、話をするだけで、光栄なことだと思った。実際に自分がそういうグループに入り、レギュラー・メンバーになるとは、夢にも思わなかった。

トミー・フラナガンの証言

 私たちはバード(チャーリー・パーカーの愛称)が演奏した曲に惚れこんだ。《ビリーズ・バウンス》《ナウズ・ザ・タイム》《ナイト・イン・チュニジア》だ。サド・ジョーンズは、彼自身の曲を発表しはじめていた。彼の音楽は当時、かなり進んでいたんだ。今でも十分通用する。私は今も、《エルーシヴ》のような曲を演奏しようとしている。あの頃、サドのグループは、町で一番前衛的だったと思う。国中でかなり認められていたんだ。だから、人を呼び、クラブは評判になった。あんな曲を書くサド・ジョーンズというトランペッターがいるとね。その後、マックス(・ローチ)とクリフォード(・ブラウン)が町にやってきた。彼らの演奏を聴いて、サドの曲に影響を受けたことがわかった。サドがアレンジをした《アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オブ・ユー》は、ワルツのテンポだった。マックスは、そのテンポの変化が気に入ったんだ。人が押し寄せて、演奏の励みになった。ソニー・スティットもよくやってきた。マイルス(・デイヴィス)は、デトロイトでしばらく暮らした。彼は、即席のグループを作り、復帰に向けて慣らしていた。それから、ニューヨークに戻り、“本物のクインテット”を結成したんだ。