■薬師寺


680年、天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願い、建立を発願したのを始まりとする。

故高田好胤(こういん)師が1967年に管主に就任した際、白鳳時代の伽藍を復興したいと計画が始まった。76年に金堂が、81年には西塔が落慶。東塔と比較すると色彩だけでなく、高さや屋根の反り具合など形状が異なる。それは復興を指揮した西岡常一棟梁が「500年後には同じ高さになる」と見込んでのこと。約40年を経た現在、西塔は白鳳伽藍の重要建造物の一つとして、静かにそして威厳を持って佇んでいる。また、東塔は現在解体修理中で、2020年に落慶予定。西塔、東塔とも三重塔だが各層に裳階(もこし)と呼ばれる風雨から守る庇があるため、6層に見える。食堂は2017年に復興され50年にわたる一連の復興事業が一区切りを迎えた。内部には全長50メートルの「仏教伝来の道と薬師寺」の壁画が描かれている。

■平城宮跡
710年に遷都された平城京の中核部分であった宮の跡地。天皇の住まい、官公庁などが集まる政治・文化の発信地でもあった。

平城京の北辺中央に位置する平城宮は東西1.3キロ、南北1キロの広さ。数多くの建物のなかで最も重要なものが2010年に復元された第一次大極殿である。かつてここでは天皇の即位式、外国使節との面会などが行われ、内部には天皇が鎮座する「高御座(たかみくら)」が置かれている。平城宮の東張り出し部には正確に復元された東院庭園があり、奈良時代の美意識を体験できる。南には法隆寺中門を参考にして復元された平城宮の正門である朱雀門がある。

週刊朝日  2018年11月23日号

暮らしとモノ班 for promotion
台風、南海トラフ地震、…ライフライン復旧まで備える非常食の売れ筋ランキング