でも脚本家に限らず、人間は生きている限りうそと無縁ではいられない。普段の生活でも、相手が敵か味方か、どこか疑いながら他人と接しています。お互い腹を探り合っている。それが人間の付き合いです。
ドラマを見ているときもそう。登場人物はうそをついているのかな、本当かな。俳優の表情やセリフの口調から、それを類推して、感情移入していくんですね。
――高校まで大阪で暮らした。将来は脚本家でも、歌手でもなく、俳優になりたかった。高校3年になる春休みに劇団俳優座の養成所の試験を受けたところ、見事に合格。高校を中退して上京した。
中学のときに先生に言われて書いた脚本が、郡の演劇コンクールに入賞したことがきっかけです。おやじが中学3年のときに死んで、重しがなくなったもんだから、高校時代は演劇に熱中しました。目立ちたがり屋だったから、人前で演技するのは快感だったんですね。
高校2年の秋には大阪府高校演劇コンクールで、自分が大事な役を演じた劇が見事に優勝しました。これがいけなかった。自分には俳優の素質があると思ってしまったんです。
ところが上京すると、先輩には仲代達矢や宇津井健がいて、同期には平幹二朗がいた。アルバイトに追われる毎日でヘトヘトに疲れて、欠席も増えて、出席日数不足と月謝の滞納で落第させられたら、そこには市原悦子や大山のぶ代がいた。とても太刀打ちできそうにないって思いましたね。
挫折感と屈辱感にさいなまれながらキャバレーなどでアルバイトをしていました。時々、ステージで歌わせてもらって。そんなときにテイチクの新人歌手コンクールで合格。すぐに俳優座を辞めました。我ながら、行き当たりばったりですね。よく言えば、変わり身が早いってことかな。別にそれもよくはないか。
当時はビクターのフランク永井が低音の魅力で人気を集めていた。レコード会社は対抗馬としてジェームスを売り出そうとした。しかし、歌手としては大成しなかった。