「真実に対して厳しいのは当たり前で、間違いではないかどうかを厳しく問う。何が真実かを問う。僕はずっと研究では常に世界の人と闘ってきたつもりですからね。闘うときはやはり厳しくないと闘えない」
本庶さんのこうした考え方は、若手の研究者にも浸透している。
「研究室はぴりっとした空気が流れ、張り詰めています。みんなが真正面から研究に向き合う緊張感がある。周りからは怖く見えても、本庶先生のもとで働く人は『すごく優しい』と言っていました。実際は人情味あふれる先生のようです」(大塚さん)。
研究に力を注ぐだけでなく、ほかにもエピソードは多い。学生時代は徹夜でマージャンを楽しんだり、伝統ある京都大学交響楽団(京大オーケストラ)で活躍したりした。今も続ける趣味はゴルフ。受賞が決まった後の1日夜の会見で一番したいことについて問われると、自分の年齢以下のスコアで回る「エージシュート」と答えた。家でパターの練習をしているという。
1日の会見では、学生に教えるように、わかりやすく明快に答える姿が印象的だった。約30年前、京大医学部3年だった男性は、本庶さんの分子生物学の講義を受けたことがある。板書が主流だった当時、本庶さんは講義のポイントを箇条書きにしたプリントを1枚配って講義を進めたという。
「講義の目標を決めて話されていて、ひじょうにわかりやすかった。妥協しない厳しい先生だったが、相手の立場で考えられるひと」
こう振り返る男性は医師になり、外国人講師の講演会で本庶さんに再会する。自分が納得するまで講師に質問する本庶さんの姿に、「ぶれていない。変わってないな」と感じたという。
さて、受賞決定のニュースで、「本庶」の名字を初めて知った人も多かったはずだ。ネットでは、「名前が読めない」という書き込みもあふれた。
姓氏研究家の森岡浩さんは「おそらく全国に10世帯未満しかない非常に珍しい名字」という。
「本庶のルーツは富山市と推定されます。かつて富山市内には本庄村があった。ここに由来する本庄から本庶に変化したのではないでしょうか」(森岡さん)
本庶さんの両親は富山県出身。父・正一さんが山口大医学部教授を務めた医師だったこともあり、本庶さんは山口県立宇部高校から京大医学部へ進んだ。ゆかりがある薬都・富山の関係者も今回の受賞を喜ぶ。
名字まで一躍有名にした本庶さん。これからも研究や若手の指導を続け、名声を世界に広げてくれそうだ。(本誌・緒方麦)
※週刊朝日オンライン限定記事