作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は、「カルト」について。
* * *
数年前、サティアンに暮らしていた元オウム真理教信者の女性と話をしたことがある。幹部だった井上嘉浩氏の口癖が「頑張りましょう」だったと話してくれたことを、彼が死刑執行された日、思い出した。井上氏だけじゃない、オウムにいた誰もが「頑張ります」を口癖のように言っていたという。
彼女から聞くサティアンの生活は、地獄のように不潔だった。目の見えない麻原の世界観を模したのか、窓一つない生活空間には巨大な鉄の箱が置かれ、それが「空気清浄機」だと言われていたが、換気のない部屋はカビだらけだった。殺生が禁じられているので、ネズミやごきぶりが走り回っていた。食事は1日1回タッパーに入れられた味のない野菜やラーメンが配られ、野菜が腐っていることもあったが、食にこだわるのは修行が足りないためだと考えられていた。何より驚いたのは、富士山の麓で暮らしながら、彼女が富士山をきちんと見たことが一度もなかったことだった。感情を持つことも、感覚を持つことも、意見を持つことも、自分で考えることも悪とされる生活で、サティアンで暮らしていた人たちは「頑張ります」という言葉しか持てなかったのかもしれない。
オウムは完全な男社会でもあった。ピラミッド型の組織が作られ男がトップに立った。「誰が美人だと思うか?」と記名するミスコンがあり、「若くて美人」の信者獲得が求められていた。女性性を否定し生理を止める修行が用意され、食事をつくる係は「処女」と決められていた。
疑念を持つことは禁止されていた。リンチで殺され突然姿を消す仲間は後を絶たなかったが「あの人はどこにいったのか」とは誰も聞かなかった。何しろ情報は「噂」が全てで、理性で考えれば矛盾することも、感覚として受容してしまう空気ができていたという。
人権後進国としての名を一気に広めた7人同時死刑執行。その前日に、安倍首相や上川法相ら自民党議員たちの会食が和やかに行われていた。死者が出た豪雨に避難指示が出ていながら、翌日に7人の死刑執行を決めながら、自分たちの絆を深める会食が優先される上層部の集いは、全員が満面の笑顔の写真を見た後はおぞましさしか感じない。理性も、感情も、痛みも、この人たちには通じない。こんな人たちが政権を取り続けられる国とは、それが私の国であるとは、いったいどういうことなのだろう。
オウム事件はカルト集団の起こした事件とされてきた。それでも、いったいカルトとは何か、どう逃れられるのか、私たちは社会として解決しようとしてこなかったのかもしれない。そしてそのまま中心人物の死によって、事件は強制終了されようとしている。そのツケはどこに向かうのだろう。情報を隠し、批判に弱く、不愉快な現実に目を背け、命よりも経済優先で、「輝け! 特に女!」と要求するような政府は、そもそも既にカルト状態に入っているのではないか。空を見あげ、自分の言葉を失わないために、何ができるか。
※週刊朝日 2018年7月27日号