ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は、「究極のテレビアイドル・佐良直美」を取り上げる。
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誰しも『テレビの原風景』なる人がいると思いますが、私のそれは、由紀さおりさんと中村雅俊さん、そして佐良直美さんです。特に佐良直美さんは、ブラウン管の中に生息する異次元生物の最たる人。私の性や装い、異質者としての身の置き方に、とてつもない影響を与えてくれたのは間違いありません。彼女がテレビの世界からいなくなってかなりの年月が経ちました。若い読者の中には、佐良直美の存在を知らない方もいるかもしれません。佐良さんは、60年代後半に歌手として大成功を収めた後、テレビ人としても確固たる地位を築き、70年代には紅白歌合戦の紅組をチータこと水前寺清子とともに支え、司会も5回務めた方です。私が生まれたのが1975年ですから、まさに佐良直美全盛期時代がテレビの原風景となっても不思議ではないのです。
ショートカットというよりも『短髪』と呼んだ方がふさわしい、ボーイッシュやマニッシュなんて表現では到底片付けられない男らしさを身に纏った独特の雰囲気と、女性にしてはダンディ過ぎる歌声の一方で、まるで剥きたてのゆで卵のような無垢な質感。昔のテレビは、それこそハイヒールとスパンコールと付け睫毛で埋め尽くされた『化物の館』だったと言われますが、画的には至ってシンプルな佐良さんが秘める複雑な倒錯感もまた、私にとっては目が離せなくなる立派な『化物』でした。もし今のテレビに佐良直美が存在したら、果たして世間は彼女の卓越した歌声と司会の名調子に、あの頃のように純粋に心躍らせることができるでしょうか。そう考えると、テレビ自体が違和感の塊だった時代に、淡々と佐良直美を視聴できたありがたさを、ただただ噛み締めるばかりです。
1977年の紅白歌合戦。紅組司会兼キャプテンだった佐良さんが歌ったのは、まさかの『プレスリーメドレー』でした。今日(こんにち)における『性の多様化』など鼻で笑われてしまうほどの攻めっぷりです。男と女、都会と田舎、大人と子供、豊かさと貧しさがきちんと分かれていたからこそ成り立つ業(わざ)。輝く業(ごう)。
※週刊朝日 2017年4月7日号