創刊95周年を迎えた週刊朝日の「見出し」から歴史をたどります。今回は1980年代。それぞれのニュースに立ち会った人々のエピソードは、あの日の記憶を鮮明に呼び起こしてくれます。
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ジャパン・アズ・ナンバーワン──。1980年代後半、不動産や株式が高騰し、一大好景気を迎えた。
都心では、DCブランドで着飾った若者がディスコ「マハラジャ」で踊り狂う。“青天井”の交際費を握る営業マンも銀座で浮かれ、深夜のタクシー乗り場で長蛇の列をつくった。24時間営業のコンビニが乱立し、ファミレス、アパレル業界は全盛期。一方、大手スーパーや地方商店街は冬の時代に陥り、「シャッター通り」が現れた。
外政では米国との貿易摩擦が深刻化。内政でも、大平正芳が首相在任中の80年に急逝。同年6月には初の衆参同日選挙が実施された。
本誌は81年6月19日号で、ロッキード事件で起訴されて保釈中だった元首相、田中角栄の緊急インタビューに成功している。
<(雑誌が)田中とでっかい字で地下鉄の中吊り広告やると、午後三時に売り出して、一時間半でサアッと売り切れる。これは、田中角栄という字を書くから売れるんで、しようがないっていうんだな>
大平首相(当時)が79年、公明や新自由クラブと連合して政界再編を目指していた事実を明かし、こう語っている。
<大平君には、一党でもってすべてを片づけられる時代はもう終わったりという気もあったんだ。(中略)大平君がまじめにそう主張した。ぼくは、このバカやろう、キサマがやめろ、といった>
<彼の考えは、自民党一党なんて思い上がらずに政策の近いものは一緒になろう、足して二で割ってもいいという気が根底にあった>