●エルヴィンが正月を連れてきた
年末年始が近づいてきました。
60年代、日本のジャズ・ファンはアート・ブレイキーのライヴに接して正月の到来を実感したそうです。ブレイキーは61年、63年、65年、68年、70年と、年始に来日しています。たしかに正月の高揚した気分の中、「チュニジアの夜」なんかを目前でプレイされたら興奮して踊り出すしかないでしょう。
しかし90年代に上京した私にとっては、正月=エルヴィン・ジョーンズでした。新宿ピットインで毎年のように行なわれていた年明け公演が、その年の「初ジャズ・ライヴ」だった、という30~40代のジャズ・ファンは意外と多いのではないでしょうか。
●“黄金の手”はすごい握力だった
ピットインの周りは当然、長蛇の列です。するとどうでしょう、通りの向こうからアスリートのような体型をした男が白い歯をみせながらやってくるではないですか。列の間から「うわっ!」という驚きの声があがります。
エルヴィンです。間もなく彼は、列に近づいてきました。そしてひとりひとりに声をかけたり、握手したり、ハグし始めました。寒空の下で待っているファンへのお礼ということでしょう。もちろん私もしっかり握手&ハグしてもらいました。ものすごい握力でした。彼はこのパワーでスティックやブラッシュを持ち、ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズやオーネット・コールマンやエリック・ドルフィーとサシで渡り合ってきたのです。
●メシを抜いてかけつけた『至上の愛』公演
その翌々年だったでしょうか、今度は12月ごろ、エルヴィンは再びピットインに登場しました。トランペット奏者のウィントン・マルサリスと組んで、ジョン・コルトレーン『至上の愛』を再現するというのです。二日間、全4ステージ(入れ替え制)で各セット7000円。なぜこんな細かいことを覚えているかというと、カネのない私にとって7000円の入場料金を払うということは数日間の断食を意味していたからです。
私が見たセットでは『至上の愛』の曲はひとつもなく、かわりに『クレッセント』全曲が演奏されました。プレイ自体は“つまらなかった”といってよかったように思います。秀才ウィントンの頭をナデナデする好々爺のプレイなんて聴きたくなかった。後年、『至上の愛』部分がCD化されたときにも、あまりのつまらなさに驚いたものです。しかもドラムスの響きが、思いっきりしょぼく録られているのです。「この録音エンジニア(あるいはミキサー)はジャズ・ドラムの音を知らねえ!」と思いました。