新憲法第一条


 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
 
 とある。

 辞書によると、

「象徴」(その社会集団の約束として、)言葉では説明しにくい概念などを、具体的なものによって表す(代表させる)こと。また、シンボルそのもの。(三省堂国語辞典第七版)

 以下は、私の想像であり、感想にすぎないのでそのつもりで理解してほしい。

 第一条を読むと、国民全体で一人の天皇を持つ、つまり一対一億の関係になる(どこの国でも、王のある国はそうしかならない)。

 こういうとき、第一条に象徴という言葉が使えると考えた人は、ほっとしただろう。いま考えると「象徴」というより他にいい言葉があるとは思えない。

 それはさておき、象徴という言葉を誰よりも真剣に考えたのは天皇ご自身だったのではあるまいか。

 昭和天皇には多分、「それでいいかどうか」相談なしに、第一条が決まった。天皇は異議を挟んだりしないで、受け入れた。天皇という存在はそういうものかもしれない。ここで言う天皇は、今上天皇のことを言っているのではない。これから先、末永く続くであろう天皇のことを想定している。

 放映された天皇のお気持ちを聞いて、たぶんたくさんの人がはっとしたにちがいない。普通の世界では定年というものがあるのに、天皇は、生きている限りいまのままだ。

 あのお言葉を聞いて、涙が出たという人があった。私も涙が出た。政府の関係者はもちろん、「じくじたる思い」と率直に感想を述べた衆議院議長をはじめ、皇室典範が自分のことではなかったため、関心が勢い深くなかったことへのじくじたる思いと、私は受けとった。

 職業選択の自由は全くない天皇のことを忘れてはいけない。私たちが享受している自由はまったくないのだ。天皇が銀座へ出てきて、「ヤア儲かりますか」などと、声をかけられるような日がくればいいなと思っている。

週刊朝日 2016年8月26日号より抜粋

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