
Joe Henderson In Japan (OJC/Milestone)
1972年8月、ジョーヘンことジョー・ヘンダーソン(テナー)は単身で初来日を果たす。ツアーが組まれたわけではなく目的は銀座にあったクラブ「ジャンク」への出演だった。来日ジャズ・ミュージシャンのクラブ・ギグが珍しくもない今日ならいざ知らず、いまだコンサート・ツアーがメーンの時代によくそれだけで来日したなあと少々驚きもするが、ジョーヘンに決断させるにはそれで十分だったのだろう。当時の我が国はジャズ一等国でジャズ人気と敬愛の念は本国をはるかに凌いでいた。いきおい、多くの新進気鋭の若手が我が国に大きな関心を寄せることになる。ジョーヘンもそうした1人だったと見ていい。招聘側にも勝算はあったはずだ。ブルーノートの諸作を通じて、既にジョーヘンの名前はウェイン・ショーターと並ぶポスト・コルトレーンの雄としてファンに認知されていた。推薦盤はその「ジャンク」に日本人リズム・セクションを従えて出演したときの記録だ。
リズム・セクションは市川秀男(エレクトリック・ピアノ)、稲葉国光(ベース)、日野元彦(ドラムス)という第一級の陣容で、ジャズ・スタンダード2曲と自作2曲からなる。8分超から14分超の長尺演奏だ。無伴奏でルバートによる《ラウンド・ミッドナイト》のテーマ提示部にはシュールな感すら漂うが、イン・テンポに転じるや勇猛な吹奏に終始、終には日野も負けじと煽り立てる。続く市川も上々で、ドスン、ドスンと重爆撃をかます稲葉も痛快、一味も二味もちがう白熱のミッドナイトに仕上がった。《イン・ン・アウト》改め《アウト・ン・イン》はファスト・ブルース、日野が猛烈なプッシュを繰り出すなか少しの淀みもなく9分を吹きっ切る。フレーズの奔流としか表現できない己が情けない。順序が逆なのだが、マイケル・ブレッカーを聴いているような錯覚すら覚える。ケニー・ドーハム作《ブルー・ボッサ》は既にジョーヘン・スタンダードと認知されていたようで歓声が湧く。市川もソロをとる、快適なチェンジ・オブ・ペースになった。圧巻は14分を超えるラストの《ジャンク・ブルース》だ。ジョーヘンは矢でも鉄砲でも持って来い!と言わんばかりの怒涛のブローを繰り広げて鳥肌ものだ。市川もめくるめくタッチでこの日一番の出来を見せ、ルバートによる稲葉の重爆撃に続く日野の渾身のソロで場内の興奮はピークに達し、ジョーヘンが完璧に締めくくる。この日のジョーヘンは心技体が充実し、微塵の無駄も見られない。おそらく「ジャンク」にはジャズ神が降臨していたのだろう。
この翌日には菊地雅章(ピアノ、エレクトリック・ピアノ)、日野皓正(トランペット)、峰厚介(アルト、ソプラノ)らと都市センター・ホールで催されたコンサートに出演した。その記録『ソー・ホワット~ジョー・ヘンダーソン&菊地、日野イン・コンサート』(日本フィリップス→ユニバーサル)でもジョーヘンは快調に飛ばし圧倒的な存在感を示すが、3管セクステットとくれば出ずっぱりのはずもなく、ジョーヘン目当てなら物足りない。日米のジャズ・ミュージシャンが渡り合った和ジャズの名盤として楽しむべきかと思う。ワンホーンで通した推薦作は「ライヴ・イン・ジャパン」のバイアスをかける要のない、ジョーヘンの楽歴を通じても上位にくる名盤だ。これを聴かずにジョーヘンは語れない。
それにひきかえジャケットはお粗末だ。ジャケ買い派じゃなくても手は出ないだろう。阿部克自氏によるアフロヘアーに上半身裸、縦縞のベルボトムで胡坐をかくジョーヘン、後ろにテナーを配した写真はまだしも、周りを「ジョー・ヘンダーソン」で埋め尽くしたデザインはいただけない。「フジヤマ、ゲイシャ」と同類だ。ふと「耳なし芳一」を思った。全面が「ジョー・ヘンダーソン」の経文に覆われていたら我らジャズ亡者にジョーヘンの姿は見えなかったかもしれない。それかあらぬかジョーヘンは右の耳に手をやっている。
【収録曲一覧】
1. 'Round Midnight
2. Out 'N' In
3. Blue Bossa
4. Junk Blues
Joe Henderson (ts), Hideo Ichikawa (el-p), Kunimitsu Inaba (b), Motohiko Hino (ds)
Recorded At Junk, Tokyo, August 4, 1971