ザ・ケルン・コンサート/キース・ジャレット
この記事の写真をすべて見る

「良い音で好きなジャズ聴きながら毎日仕事ができて、Masterはいいよなあ」

 よく言われる、よく言われるのである。いや、じつはそんなにいいものでもないのだが、ジャズを看板にあげてる以上、一応、表向きは「そうなんです。ジャズは素晴らしいんです!」みたいな顔をしておかないといけない。

 いまでも、オーディオマニアやジャズファンで、脱サラしてジャズ喫茶をやってみたいと思ってる人は多いようだ。

「一日中、高級オーディオでジャズを聴きながら仕事ができたら、どんなにいいだろう?」

 そう思うでしょう?でも、実際にやってみるとわかるが、楽しいのは最初の二日間くらいのもので、一週間もやれば、「もうジャズなんか結構です」と言いたくなる。お客で行くのと、自分がやるのとでは、まったくもって楽しさが違うのである。

 当店のばあいは、「ジャズの聴ける理容室」であるから、ジャズ喫茶とは少々勝手が違うけれども、ずっと切れ目なくジャズばかり流しておかないといけないのは一緒である。

 客が居ようが居まいが、朝の9時から夜9時まで、年がら年中ジャズばっかり。 「よくジャズばかり聴いて飽きないですね?」って、余計なお世話である。そのくせ、たまにCTIレーベルのフュージョンぽいのとか、ジャズロックみたいなのをかけてると、「ん?これはジャズじゃないですね!?」とツッコミが入る。ウッ、寝てるふりして聴いてたのか!?

 何を隠そう、わたし自身、「毎日ジャズ聴きながら仕事できたらどんなにいいだろう?」と思って始めたクチで、実際にやってみたら、そんなに思ったほどいいものでもなかったというのが本当のところ。

 ジャズファンのなかには、聴けば聴くほど修行になると思うのか、「毎日10時間以上もジャズを聴いてる!」とかいって、変な自慢をする人がいるけれど、人間の集中力なんて、もって3時間が限度。さらに仕事しながらなんて、とてもとても聴けたもんじゃない。

 良い音で聴いたら楽しくなるかもしれないと、オーディオに凝ったのがまたいけなかった。たしかに良い音で鳴ると気持ち良いけれど、いつもいつも良い音で鳴ってくれるわけではない。それに、JBLだの、マッキントッシュだのと、世界の名機を揃えたら、有難がってお金を置いてくれるかと思ったら、いえいえそんな、とんでもない!

 オーディオマニアの人たちは、自宅に客人を呼んで音を聴いてもらうために、ご馳走して、丁重に接待をして、それでようやく「良い音ですなあ」と褒めてもらえるのである。音を聴かせてしかも金を取れるなんていうのは余程のことで、「お願いして聴いてもらう」のが普通なのだ。

 高級オーディオも「業務用」にしてしまうと、オーディオマニアとしての愉しみも半減。マニアの生き甲斐である、あれこれ機材を入れ替えたりといった面倒なことは極力避けたい。店でかけるぶんには、頼むから無事にトラブルなく、そしてできることなら良い音で鳴ってくれと毎日祈るような気持ちなのである。

 それじゃあ、ジャズを商売にしても、なんの愉しみもないかというと、それがたまに、ある。年に一度か二度、信じられないような良い音が出て、お客さんと一緒に奇跡のような音楽体験をすることがあるのだ。それは決して一人オーディオを聴いていて得られる快感ではなく、店のなかが一体となって現出する最高の音楽空間、体験を共有する素晴らしさは、なんとも喩えようがない。

 最近では、キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』が物凄い音で鳴ってしまい、お客さんも唖然としたが、かけた張本人のわたしもあまりの音の美しさに驚愕してしまった。「あの感動をもう一度」と、「ケルン・パート1」をかけてはみるが、何度かけても同じ音では鳴ってくれない。あれはきっと、真面目に働くジャズ稼業の者に、神様がくれるご褒美なのだろう。

【収録曲一覧】
1. ケルン,1975年1月24日,パート1
2. ケルン,1975年1月24日,パート2a
3. ケルン,1975年1月24日,パート2b
4. ケルン,1975年1月24日,パート2c

[AERA最新号はこちら]