空爆は激しさを増し、航空司令部との連絡も途絶えた。6月下旬、大隊は解散した。間もなく、食料の監視役を銃剣で刺し、乾パンを奪う悲劇が起こった。
それぞれ5、6人程度の人数で潜伏した。谷口さんらも、飛んでくる虫、自分の足に張り付いて血を吸うヒルをはがして煮て食べた。
飢えと病気で兵隊がバタバタと死んだ。潜伏中、出会う遺体は、「命綱」だ。ポケットをあさり、ドロドロになった乾パンがあれば幸運。死人の周りをチョロチョロうごめく、爬虫(はちゅう)類を捕まえては食べた。
生きた日本兵にも会った。6人ほどの兵隊が輪になって、虫の息の兵隊を囲み、爪をはがしている。谷口さんが「まだ生きているではないか」と声をかけると、一人が答える。
「ここまで連れてきたが、限界です。せめて遺骨代わりに……」
倒れた兵隊は、痛みを感じているのかいないのか、目頭に小さな涙の玉が光っていた。これも極限状態における戦友愛なのか。
8月に入ったころ、小高くなった尾根で3人の兵隊が飯盒(はんごう)を抱えて、うまそうに何かを食べていた。
谷口さんら6人が、力を振り絞り、はうように近づくと、焼けた肉の匂いに喉が鳴った。
一切れを分けてもらい、のみ込むように口に入れた。
「何の肉だ。大トカゲ、サル、鼠か」
そう聞いても、彼らは「何でもいいじゃないか」と言うばかり。礼を伝えて歩きだすと、背中越しに笑い声が響いた。
水を飲もうと谷に下りると、兵隊3人が顔を川に突っ込んだまま死んでいた。ふと河川敷を見て仰天した。まだ時間の経っていない飯盒炊爨(すいさん)の跡。そして傍らには、太ももの肉が削がれた日本兵の死体が横たわっていた。部下の一人が声を震わせた。
「こん畜生、よくもだましたな──」
※週刊朝日 2016年2月12日号より抜粋