「南京大虐殺の記録」が世界記憶遺産に登録された。日本政府はそれに対し、抗議をしているが、「行き過ぎ」ではないかとジャーナリストの田原総一朗氏は疑問を呈する。

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 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に、中国が申請した「南京大虐殺の記録」が登録された。

「世界記憶遺産」は近年、急速に関心が高まってきたユネスコの事業で、「世界遺産の妹」と称される。歴史的に重要な文書や絵画などの保存を目的に1992年から事業が始まり、「アンネの日記」などが有名だ。第2次世界大戦後のシベリア抑留者の引き揚げ記録「舞鶴への生還」や京都府の国宝である「東寺百合文書」などが今回登録されることになった。それと同時に、南京大虐殺の資料が登録されたのだ。中国は同時に「慰安婦に関する資料」を申請したが、こちらは登録されなかった。

 読売新聞は10月11日の社説で、「文化財保護の制度を『反日宣伝』に政治利用し、独善的な歴史認識を国際社会に定着させようとする中国の姿勢は容認できない」と厳しく批判している。「大虐殺は虚偽」だと大見出しを打った新聞もある。

「南京大虐殺」は1937年12月13日、当時の中華民国の首都であった南京を旧日本軍が陥落させた後に多くの中国市民が旧日本軍によって虐殺されたとされる事件である。

 中国側は死者数を30万人と主張する。戦後に中国が行った南京軍事法廷が日本人の戦犯を裁いた判決中に「南京事件の犠牲者・30万人以上」となっているのである。

 日本の学者や研究者たちは、当時の南京の人口は20万人前後であり、「30万人虐殺」はあり得ないと指摘する。だが、南京陥落後に多くの中国市民が旧日本軍によって殺されたことは事実である。

 
 旧日本軍が南京に攻め込む前、中国側の総司令官は逃げ出していて、旧日本軍が南京城に攻め上ると軍人の姿はなく、数多くの軍服が脱ぎ捨てられていた。軍人たちは民間服に着替え、市民と混在していたのだ。

 どの人間が、どのようにして反撃するかわからない。そんな恐怖心もあり、軍人と市民の区別がつかぬまま、多くの市民たちを殺してしまったということだ。兵站部隊が遅れたため、食糧の略奪などが行われたとも言われている。東京裁判でも「南京事件」にことが及ぶと、被告である旧日本軍の幹部たちは抗弁のしようがなかったようだ。

 今回の登録について、日本の外務省は文書の「完全性や真正性」に疑問を呈し、「中立・公平であるべき国際機関として問題」とユネスコを批判した。

 確かに「世界記憶遺産」はユネスコの事務局が独自に運営していて、審議が公開されず、各国の意見が反映されないなどの問題はある。菅義偉官房長官は「中国はユネスコを政治的に利用している。過去の一時期における負の遺産をいたずらに強調し、遺憾だ」と批判した。ここまでは至極当然だと納得する。

 だが、その後に「我が国のユネスコの分担金や拠出金について、支払いの停止などを含めてあらゆる見直しを検討していきたい」と言いだした。昨年度の日本のユネスコ分担金は約37億円(11%)で、米国が支払い停止中のために最大となっている。

 ユネスコは「心の中に平和のとりでを築かなければならない」とうたっており、分担金見直しの主張は行き過ぎで、逆に世界の信頼を失うことになるのではないか。

 日本人の研究者が示すように、4万人にせよ6万人にせよ大勢の中国市民が旧日本軍に殺されたのは事実なのである。

週刊朝日 2015年10月30日号