会議室の真上で爆発する500キロ爆弾にも耐えるよう工事がなされました。昭和天皇の御休所(ごきゅうしょ)、事務室、会議室の天井は2.5センチの強化鋼板が張られました。その上には、爆発の圧力を吸収する砂利層1メートルを挟み、2メートル、1メートルの鉄筋コンクリート層が造られます。施設の存在を隠すため、約15メートルの土を盛った。耐弾効果を高めるため、土を20センチほど盛っては一列に並んだ兵士が足で踏み固めたそうです。
戦局が悪化し、ヒトラー独総統の山荘が10トン爆弾の空襲に遭った。焦った陸軍は防空壕の補強工事を、浄法寺大佐に指示。10トン爆弾に耐えるよう、鉄筋コンクリートの耐弾層を強化。のべ10万人の兵士を動員して、45年7月末に完成しました。
興味深いのは、昭和天皇も、防空壕の工事に参加していたというエピソードです。土を盛ったあとは、防空壕を隠すため上部と入り口付近の通路を覆う樹木を植えなくてはいけません。浄法寺大佐が宮内省の工務部長へ移植の了解を願い出ると数日後、「天神の社のススキ」「水田の近くの赤松と黒松」「何処どこの枝を横に延ばしたサツキ」といった具合に移植する樹木について細かな指示がきた。その場所に行くと、指示通りの植物が生えており、実際に移植する場所にもぴったりだったそうです。
あとで浄法寺大佐が工務部長に聞くと、植物の情報を提供したのは昭和天皇ご本人。皇居内の植物を知り尽くしている、学者天皇らしいお話でした。
※週刊朝日 2015年8月14日号