1945年3月に東京大空襲で焼けた町を視察する昭和天皇 (c)朝日新聞社 @@写禁
1945年3月に東京大空襲で焼けた町を視察する昭和天皇 (c)朝日新聞社 @@写禁
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 戦後70年、そして昭和天皇が亡くなって四半世紀。その圧倒的な存在感がいまなお、多くの人たちの人生に大きな影響を与えている。しかし、戦争を体験した人たちの目に、昭和天皇はどう映ってきたのか。

「戦争へと突き進んだ昭和という歴史。私にとって昭和天皇は、不安な時代の象徴でした」

 今年89歳になる小林頼子さんは、大正15(1926)年11月に生まれた。まもなく大正天皇は逝去し、時代は昭和へと変わった。小林さんの父は、大杉栄の思想に傾倒し、長男に「栄」と名付けた。そうした家風のためか、ご真影が飾られることはなかった。

 昭和20(45)年4月の空襲で明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする明治神宮の大部分が焼失した。

「両親の反応は、世間の嘆きぶりをよそに淡々としたものでした。そうはいっても憲兵が目を光らせていますから、迂闊(うかつ)なことも口にはできませんでしたが」

 小林さんには忘れられない記憶がある。昭和19(44)年11月24日の空襲を境に、東京への空襲は本格化する。翌昭和20年、10万人の都民が米軍に焼き殺された東京大空襲。一夜明けた3月11日の朝、小林さんは自宅を出て学校へと向かった。御茶ノ水駅で、全身を包帯でグルグルと巻かれた人が話しかけてきた。同級生の敏子さんだった。

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