日本未来の党を結党した嘉田由紀子滋賀県知事だったが、およそ1カ月余りで党代表辞任に追い込まれ、小沢一郎氏とも袂を分かった。

 そもそも結党する際、嘉田氏は党代表になるか否かを悩んだというが、最終的に嘉田氏に党代表就任を決断させた新聞記事がある。脱原発を主張する民主、旧国民の生活が第一、旧減税日本などの前衆院議員約120人のリストが載った昨年11月23日付の中日新聞だ。

 嘉田氏はこう振り返る。「未来の党を結党する3日前の11月24日夜、京都の新・都ホテルで小沢さん、飯田哲也さんと会いましたが、最初は断るつもりでした。あまりにも準備ができていない、日にちがなさすぎるから無理だと何度も拒否しました。でも、夜中まで議論し、最後に『私が脱原発の旗を立てれば何人、通りそうですか』と小沢さんに尋ねると、小沢さんは『脱原発を訴える候補者を120人出せば、100人は通す自信がある』とおっしゃった。中日新聞のリストを思い起こし、一人でも多く残ったら、という義侠心に駆り立てられ、小沢さんの言葉を信じて挑戦してみようと決意しました」。

週刊朝日 2013年1月25日号