2月9日に行われた東京都知事選。ジャーナリストの田原総一朗氏は、投開票前にしらけムードになってしまった原因についてこう説明する。
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細川護煕元首相が小泉純一郎元首相とともに名乗りをあげて話題になった東京都知事選だが、当初のマスコミ各社の大きな扱いに比べてみると、終盤は、いまひとつ盛り上がらなかった。
主要候補がテーマとして掲げたのは、例えば「脱原発」であり、経済成長よりも分配の公平さを重視することであり、あるいは福祉を拡張するなどの政策であった。しかし、これらは、いずれも東京都というより、どちらかといえば日本政府に要求すべき政策である。
あるいは、地域コミュニティーが崩壊して、郊外の団地にお年寄りが多くなっていることを指摘する候補もいた。若い世代が出ていって空き家が多くなっている、などの問題も出てきているという。確かにこれらも重要な問題ではあるが、こちらも、都というよりはそれぞれの区や市などで取り組むべき問題である。
こう考えると、都知事が何を自分の政策の主要テーマにするかというのは、意外と難しい問題であることがわかってくる。
歴代の東京都知事の顔ぶれを振り返ってみると、1979年から4期務めた鈴木俊一氏以降は、放送作家でタレントの青島幸男氏、作家の石原慎太郎氏、そしてジャーナリストの猪瀬直樹氏と続いてきた。実は、青島氏は95年に都知事に当選した後、私に「困った、自分は限りなく1位に近い2位になりたかったんだ」と漏らしたことがあった。彼がその後、都知事としてやったことは、世界都市博覧会の中止だけで「青島都政」と言えるような具体的なものを残すことはできなかった。
99年から13年以上にわたって知事を務めた石原氏にしても、「週のうち3日しか都庁に来ない」と、都の職員が皮肉っぽく言っていたものだ。そして2012年に、やっと実務派の猪瀬氏が都知事になったと思ったら、医療法人徳洲会から金銭を提供されていた問題を追及されて、わずか1年で辞職に追い込まれてしまった。
そもそも、一国の人口にも匹敵する1300万人が暮らす東京都というのは、日本の中でも他に例のない自治体である。全国の他の自治体がやっているような仕事は、ほとんど、それぞれの区などがやっているのである。だから、都知事の仕事というのは都民にはっきりイメージしにくいものになっているのだ。
例えば、革新系の知事として67年から3期務めた美濃部亮吉氏の2期目のスローガンは「ストップ・ザ・サトウ」だった。当時は佐藤栄作政権で、55年体制の真っ只中である。ところが、いくら美濃部氏が「ストップ・ザ・サトウ」と主張しても、佐藤内閣には直接関係はなく、国政に強い影響は与えられなかった。それでも、美濃部氏は361万の都民の票を集めたのだった。
今回の選挙では細川氏が、国の原発政策を転換させることを訴えて出馬したが、都知事としてどうやって原発政策を転換させるかをもっと具体的に示さないと、美濃部氏と同じような結果になってしまうのではないだろうか。
今回の都知事選候補者は、そもそも、東京都知事はどんな役割を持っていて、何をすべきなのかということを明らかにし、都民に丁寧に説明するべきだった。それをおろそかにしたことが、都民の興味を最後まで引きつけられなかった最大の原因ではないだろうか。
※週刊朝日 2014年2月21日号