司馬遼太郎の書いた「オホーツク街道」の主人公、オホーツク人には、会いたくても会えない。5世紀から10世紀ごろまでは北海道のオホーツク沿岸に生活していたが、姿を消した。
ただし、オホーツク街道には遺跡が残された。利尻・礼文(れぶん)島、稚内(わっかない)市、網走市、常呂(ところ)町(北見市)などの遺跡をみると、その生活がわかる。司馬さんが会った考古学者の一人はいった。
「古代人のくらしにとって、オホーツク海ほどの宝の海は、この地上になかったのではないでしょうか」
なにしろサケ・マスは定期的に産卵のために遡上してくる。ニシンやホッケ、タラも豊富だった。さらには狩猟の能力に長け、海ではアザラシやトド、オットセイ、陸ではクマ、シカ、キツネなどを獲っていたようだ。
それらの骨や歯を使った動物像を見ると、芸が細かい。常呂町で出土したラッコは仰向けで浮かび、おなかの上で貝を割っているかのようだ。婦人像も10例ほど発見され、「オホーツクヴィーナス」と呼ばれている。網走市のモヨロ貝塚から出土したものは6センチに満たない。司馬さんは書いている。
〈十六、七の娘の清らかさが匂ってきそうである〉
北海道立北方民族博物館(網走市)の学芸主幹、笹倉いる美さんはいう。
「ポスターに使われることも多いんですよ。不思議ですね。顔が欠けているのがかえって人気のようです。それにしてもオホーツク人って繊細ですね」
波と風と光を受けた、古代のアーティストたちの息吹が伝わってくる。
※週刊朝日 2014年1月24日号