最近、アメリカ人の夫が「東京に住んでいる僕らはウーパールーパーだったよね」と言い出しました。メキシコのごく一部に分布するウーパールーパーは、住む場所に天敵が少なくあまりに快適だったため子どもの形のまま成熟した生き物。そんなウーパールーパーと同じく我々も都会では幼体のまま、近隣社会・将来の市民のために働くことは日頃ほとんどなくお客様気分で過ごすことができたけれど、地方に越してきたら責任が増えた、やっと幼体から成体になることができたようだと言うのです。「だからといって都会人が未熟でダメだってわけじゃなくて、環境がそうなってるんだよね。都会は幼体のままでも生きられる場所で、地方は成体にならないと生きていけない場所。どちらが適しているかは人それぞれってだけで」
ところでウーパールーパーは、いろいろ条件を満たすと大人の姿になることも可能だそうです。でも成体化は負荷が高く、その分寿命が短くなってしまうのだとか。ううん、人間はどうなんだろう……? 今のところ我が家は地方生活が合っていると感じますが。地方に暮らすと、過去と未来をつなぐ一本の時間軸の上に、たまたま居合わせたという感覚が強くなります。すると、自分の存在意義だとか生きている意味だとか今残すべき成果といった個と現在に対する固執がいい意味でどうでもよくなり、温泉に浸かっているようにゆるゆると心がほぐれていくような気がするのです。
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