今回、日本陸上連盟は過去の複数レースでの選考と決別し、マラソン種目において新たなレース、マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)を設定(9月15日開催)。出場資格を得た男子31人、女子12人は、来年の本番とほぼ同じコース、同じ高温多湿の気象条件の中で、一発勝負により五輪キップを争う。男女各3人のうち2枠はこのレースで決まるが、残り1枠もタイムにより選出されるため、過去のようなあいまいさがない選考方法となっている。
レスリング、柔道も、ともに不祥事から選考方法の透明性を求められ変化している。レスリングでは第一に世界選手権のメダル獲得、次に全日本選手権での優勝などと明確な基準が示されており、柔道では世界選手権(8月25日から/東京)、グランドスラム大阪(11月22日から/大阪)の結果と国内ポイントを材料に、強化委員会の2/3の賛成で決定するとしている。
他の競技、バドミントンや卓球などでは、世界ランキングを基準に出場権が得られるため不明瞭さはなく、以前と比較すると多くの競技であいまいな選考は減っているように思われる。しかし自転車ロードレースでは、選手が選考基準の見直しを日本スポーツ仲裁機構に申し立て(先月棄却が決定)、体操でも五輪出場権に繋がる世界選手権代表選出で事後にルールを変えようとするなど、混乱がないわけではない。
明確ではない基準、選考レースの結果が反映されない、非公開などで決められてしまうなど過去のすっきりしない代表選出は「過去の実績を加味し……」「総合的に判断すると……」といった言葉で説明されてきた。その言葉の意味は、よりメダル獲得の可能性の高い選手を選考したいということだろう。それは目標と掲げているメダル獲得数、世界順位にも繋がる話でもある。
しかし、国際オリンピック委員会(IOC)は、オリンピックの憲法とも言える「オリンピック憲章」において「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」(第1章6項1)と明確に述べている。また第5章57項には「IOCとOCOG(組織委員会)は国ごとの世界ランキングを作成してはならない」とも書かれている。つまりメダル獲得数を競うことや、選手個人の結果よりも国としての結果を求めることは、オリンピックの理念に反するということである。本来、オリンピックに参加する個人や組織は、メダルの重要性ではなく、平和な社会や人類の発展にスポーツを役立てるというオリンピズムの根本原則を説かなくてはいけないのである。
確かに自国の選手の活躍でスポーツが活性化することはある。しかし56年ぶりの自国開催の五輪である。来年の夏まで続く各競技の代表決定レースを見ながら、オリンピズムを考えることも大切なのではないだろうか。(文・小崎仁久)