個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は「携帯電話」について。
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告白しよう。ガラケーだ。ガラケーユーザーだ。絶滅危惧種、いや危惧どころか、ほぼほぼ滅びつつある、ガラケーユーザーだ。「ほぼほぼ滅び」って言いづらいね。そんなことはいい。ま、僕がガラケーユーザーということは、ご存知の方もいるだろう。以前、とある地方で女子高生から声を掛けられた際、「二朗さんに似てる人だなあと思ったんですけど、確信が持てなくて……でもガラケーを持ってるから、あ、二朗さんだ!ってなりました」と言われたことがある。「ああ、そうでしたか」と力ない敬語で返したと記憶している。
ちょっと前までは、「ガラケーなんですね!」と驚かれた。「!」が付いた。最近では「!」は付かない。「ガラケーなんですね……」。絶句である。驚きを通り越し、掛けるべき言葉を失うのだろう。あるいは「ガラケーなんですね(泣)」。憐れみと蔑みの入り交じった慈悲深い目で見られる。俺が泣きたくなる。中には「ガラケーなんですね(半笑)」や、「ガラケーなんですね(怒)」なんて反応もある。いかん、ホントに泣きたくなってきた。
以前、僕が一番年上の現場で、みんなで写真を撮ろうということになり、皆のスマホは、「♪ぴろぴろり~ん」的な可愛らしいシャッター音なのに、僕のガラケーだけ、「カシャ」という、なんというか、それはもう「カシャ」としか言いようのない、地を這うようなクラシカルサウンドが鳴り響き、いま強引に片仮名にしてみたが、要するにその場が一瞬凍りつき、どうしようもなくアナログ臭が蔓延し、若い俳優たちが半ば必死、半ばヤケ気味に、「お、お、おしゃれ~、その音、おしゃれ~」「う、うん。逆に? 逆に、おしゃれだよね~」と、死にもの狂いのフォローをしてくれたことを、今も1週間に2度ほど思い出し、枕を涙で濡らしている。