語りかけというと、英語に苦手意識がある人にはハードルが高い。
「幼児との日常会話は、基本的にワンパターン。『歯みがきしようね』『おもちゃ片付けようね』などよく使うフレーズを20パターンくらい覚えておけば、最初のうちはなんとかなります。私は紙に書いて壁に貼っていました。語りかけるときは、『英語が話せる人』を演じることもコツ。発音が悪くても気にしない。一日の中で2割程度、英語で語りかけるようにしていました」
大量に「聞く」と同時進行で、親子で一緒に絵本を「読む」。英語で語りかけて少しずつでも日常的に「話す」。それなりに話せるようになってきたら絵日記を「書く」。日本語を習得するときと同じように、一気にやらせようとはせず、日常生活に自然に英語を組み込んでいった。
「『英語の勉強をしようね』というと、英語が嫌いになる日が来るかもしれない。でも、母国語なら好き・嫌いと意識もしないですよね。だから、生活の中に英語があるのが当たり前という環境を作りたかった。外国人の友人がいるわけでもなく、インターナショナルスクールなどに通わせる経済的な余裕もなかった分、家庭内の環境を作る手間はそれなりにかかりました。ただ、それも小学校低学年ごろまで。英語が身に付いた後は、たまにWEBレッスンをやったり、洋書を買い与えたりする程度で、ほとんどノータッチでした」
高校時代は英語の勉強に時間を割かなくて済んだ分、大好きな物理の研究に注力することができた。海外の論文や書籍を原書で読むこともできた。これらの大きなアドバンテージを得て、国際物理オリンピックでは銀賞を受賞し、東大推薦入試で理学部合格へとつながった。タエさんの思いや手間とは裏腹に、「英語を話せるようになったのは自分のおかげ」と、これまでキリくんに感謝されたことがなかったという。だが、東大合格がわかった後、キリくんはタエさんに言った。
「自分は英語ができて本当にラッキーだと思っている。お母さん、ありがとう」(文/小林佳世)