学童保育は、公設公営、公設民営、保護者による自主運営などいくつも形態があり、実施される場所も、小学校の敷地内、近隣の児童館、自前で用意したプレハブなどさまざま。洋子さんが働く学童保育は小学校のなかの空き教室を使って行われているが、学童保育のスペースから「逃亡」した子は探しに行かなければならない。約100人の児童を3人の指導員でみることもあり、洋子さんは人手不足だと感じてる。

 経験を重ねると、トラブルになりそうなことを早めに察知して見守り、保護者に伝えて状況を悪化させないことができるようになるが、賃金が上がるわけでもなく、仕事として評価されない。何をしていいか分からずただ見ている新人と給与はさほど変わらない矛盾を感じることもある。

 それでも洋子さんは「今の仕事はやればやるほど面白い。子どもの成長を見て、保護者の相談も受けて、子どもと大人の両方の力になることができる魅力的な職業」と感じる一方で、低賃金で独り暮らしもできない。「転職するなら今がラストチャンスではないか」と悩みを抱えている。

 全国学童保育連絡協議会が2014年に行った指導員の待遇に関する実態調査(全国2900か所、1万2900人の指導員が対象。回答率は33.4%)では、週5日以上の勤務でも、年収150万円未満が46.2%に上った。150万円以上300万円未満が31.3%で、300万円以上は5.4%にすぎなかった。また、同協議会の調べでは、勤続年数が増えても賃金が上がらないと半数が答え、公営・民営あわせても勤続1~3年の指導員が半数を占めているという。

 厚生労働省の調べでも、常勤職員は3人に1人に留まる。このように労働条件が劣悪だからこそ人手不足を招いているにもかかわらず、指導員の処遇は改善されていない。

 そもそも学童保育とは、1950年代に大阪や東京で民間の保育所や保護者による共同運営で誕生した背景があり、長年、法の下には置かれていなかった。保育所の場合は、戦後、1947年に児童福祉法に基づいて「保育に欠ける子どもは市町村が保育しなければならない」と定められたが、学童保育が児童福祉法の下に位置付けられるようになったのは1997年で、保育に遅れること50年、という状況下にある。

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スタッフ不足の歴史が再来か