「兄貴が中央林間(神奈川県)のパチンコに行ったとき、誰も自分に気付かないからめちゃくちゃ楽しかったって笑ってたんだよ。みんな台を見ているから、存分にパチンコを打てたって」

 とは野瀬さんの思い出話だ。顔が売れれば、街中で声をかけられることも増えた。娯楽すら自由に楽しめない生活で見せた優作さんの姿を想像すると、みな思わず笑みがこぼれる。

 話はさらにさかのぼる。

「ある役者のことを『あいつは気に入らないから、挨拶すんなよ』って兄貴が俺に言うんだよ。兄貴といるときにその人と鉢合わせて挨拶したら、『お前何やってんだ!』って。でも、俺はその人と共演してたし無視なんてできないよね」

 と、野瀬さん。そして、こう呟く。

「兄貴は本当にすごい役者になったけど、まみちゃん(美智子さんの愛称)といた激動の時間は青春で、色んな意味で一番大変だったと思う」

 夕方に始まった会は、気づけば時計の針が頂点を過ぎ、夜更けとなっていた。会話は尽きず、誰かが優作さんの思い出を話すたび、「兄貴らしい」という空気が流れる。40年前もこんな感じでしたか、と問いかけると「そうですね、こんな感じでした」と重松さんは微笑む。

 優作さんが亡くなって、来年で30年が経とうとしている。松田優作が駆け抜けた青春はまだ続いている。(AERAdot.編集部・福井しほ)

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