●家臣たちも寺社に寄進
こんな主君に影響されたのか、家康の臣下、家臣たちも江戸市中に競うように寺社建立、奉納を続けている。築城の名手として知られる武将のひとり加藤清正は池上本門寺の大堂(祖師堂)を建立、もうひとりの藤堂高虎は上野の自分の屋敷に東照宮を建て、家光の代に行われた造営替えの際には全国の大名から約250基もの灯籠が奉納された。
この時、堀直寄は不忍池と凌雲院、加えて上野大仏を作った。現在この大仏はお顔だけが残され、合格祈願のご利益で有名になっている。
徳川四天王と言われた井伊直政の息子・直政は、豪徳寺の伽藍(がらん)を造営・整備したし、四天王のもう一人・榊原康政の孫である忠次が開基となった江東区の長専院は出世不動尊としても知られるお寺である。
このような寺社建立の思惑のひとつには、穏やかな時代となり戦いで死んでいったものたちへの鎮魂もあったのかもしれない。
ところで徳川四天王の筆頭だった酒井忠次の家は、江戸城そばの土地を下賜された。この屋敷では有名な「伊達騒動」へとつながる事件も含め、「はばかりある出来事がしゅったい」し続けている。今もその土地は「将門塚」として大手町の一角に存在している。当時も屋敷の庭には、将門鎮魂のための祠が作られていたという。家康の家臣たちが作ったのは大きな社だけではなかったようである。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)