ここからは辺野古新基地建設の問題をたどろう。
日本は1945年8月14日に降伏して敗戦。米軍を中心とする連合国軍最高司令官総司令部に占領された。国際社会復帰を目指す日本は47年に新しい憲法(日本国憲法)を施行し、51年にサンフランシスコ講和条約を結び、52年に主権を回復した。一方、沖縄は日本から切り離され、引き続き米軍占領下に置かれる。
平和条約とセットで日米安全保障条約を結んだ日本にも米軍基地が残ったが、住民の反対運動の高まりを受け、統合や削減が進んだ。日本にいづらくなったアメリカの海兵隊が沖縄に移駐したのは56年だ。日本の憲法が適用されない沖縄で、米軍は沖縄戦以来、住民から強制的に土地を奪って基地を拡張していった。
日本に復帰した72年以降も、面積が日本全体の約0・6%しかない沖縄に在日米軍基地の7割以上が集中。米軍の事件・事故が後を絶たないなか、95年に小学6年生の女の子が3人の米兵にレイプされる事件が起きると、沖縄の人たちの怒りのマグマが噴き出した。
このとき日米両政府が打ち出したのが、宜野湾市の街の真ん中にあり「世界一危険」とされる、米海兵隊の普天間飛行場の返還だ。だがこれには、「沖縄県内に代替施設を造る」という条件が付けられ、建設予定地は米海兵隊が以前から基地を造りたがっていた名護市の辺野古沖に決められた。
この辺野古新基地建設に対し、県民は選挙などで「反対」の民意を何度も示した。昨年2月には県民投票で辺野古埋め立て反対が7割を超えたが、国は「早期の普天間返還のため」として、推進の姿勢を変えずにいる。
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、沖縄県が独自に緊急事態宣言を出した翌日の4月21日、国は工事の設計変更を県に申請した。埋め立て予定地で見つかった軟弱地盤に対応するため、7万本を超す杭を水深70mの海底に打ち込む工事の申請だ。政府試算でも完了までになお12年かかり、総工費は当初想定の2・7倍の9300億円にふくらむ。
県が設置した有識者会議は、沖縄県外に基地を分散することで辺野古に新基地を造らず普天間飛行場を返還するのは可能との答申を出している。だが国は、「辺野古が唯一の解決策」と繰り返すばかりだ。
沖縄に犠牲を強いてきた歴史を知り、未来にどう生かすかは国民全体で真剣に考えなければいかんはずじゃ。みんなが沖縄の子どもだったら、どう思うかな? これ以上、見て見ぬふりはごめんじゃぞ!(アエラ編集部・渡辺豪)
※月刊ジュニアエラ 2020年7月号より