沖縄県知事だった翁長雄志氏が8月8日に死去した。がんの手術をした後も、命を懸けて知事の仕事を続けた翁長氏が全国の人に訴えたこととは何だろう? 毎月話題になったニュースを子ども向けにやさしく解説してくれている、小中学生向けの月刊ニュースマガジン『ジュニアエラ』に掲載された記事を紹介する。
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「ゴゴゴゴゴゴー」「ゴォーッ」「ガガガッ」
アメリカ(米)軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に隣接し、米軍機が校舎すれすれを通過する普天間第二小学校では、絶えずこんな音が響いている。この小学校の校庭に昨年12月、米軍ヘリの窓が落下した。重さ約8キログラム。体育の授業中だった児童1人が軽傷を負った。
こんな異常な出来事が、全国の米軍基地の約7割が集中する沖縄では続いている。沖縄に米軍基地が多いのはなぜなのか?
太平洋戦争末期、沖縄で日本軍と米軍が住民を巻き込んで激しい地上戦を行い、約20万人が犠牲になった。その後、沖縄は日本から切り離され、アメリカが統治した。1972年に日本に返還されるまで、たくさんの米軍基地が造られ、「基地の島」といわれるほどになった。
95年に小学6年生の女の子が3人の米軍人に乱暴される事件が起き、県民の怒りが爆発した。日米政府は96年、街の真ん中にある普天間飛行場の返還で合意。移設先は同じ県内の名護市辺野古に決定したが、「基地のたらい回し」だと反対する人も多かった。
こうした沖縄の民意に寄り添って、「辺野古に新しい基地は造らせない」と2014年の選挙で訴えて当選したのが翁長氏だ。
「イデオロギーよりアイデンティティー」と唱え、政治の考え方の違いで県民が分断されず、一つにまとまろうと呼びかけた。
翁長氏は政府や全国の人に向けては「アメリカとの関係が大事というのであれば、全国で米軍基地の負担を分担してもらいたい」「せめて普天間飛行場は県内移設せずに返還してもらいたい」と訴えた。だが政府は「辺野古が唯一」と繰り返し、別の方策を本気で考えようとしなかった。
翁長氏は死の直前の7月27日、辺野古埋め立て承認の撤回を表明。翁長氏の意志を受け継ぎ、県は8月31日に正式に撤回した。
翁長氏の訴えは日本全体で考えなければ解決できない。新しい玉城デニー知事も、その壁と向き合うことになる。(解説/アエラ編集部・渡辺豪)
※月刊ジュニアエラ 2018年11月号より