【解説】
お答えします。
「一人っ子でさびしい思いをさせている」という言葉は、「論語」にある「四海の内、皆兄弟なり。君子 何ぞ兄弟無きを患えんや」という言葉で吹き飛ばしてしまいましょう!
これは、司馬牛という孔子の弟子が「人皆な兄弟有り、我独り亡し(人はみんなきょうだいがいるのに、自分だけいない)」と嘆いたことを、同じく弟子の子夏がなぐさめた言葉です。
「何を言っているのだ」と笑いながら、子夏は司馬牛の背中をパン!とたたいて元気づけて言うのです。
「この世界中のみんながあなたのきょうだいじゃないか。君子というものは、自分にだけきょうだいがいないだなんて、悩むものではないよ!」
人は一人で生きているわけではありません。肉親のきょうだいと同じ愛情を捧げるべき人は、見えないながらも、世の中に無数にいて、みんなが力を合わせて、助け合って生きているのです。
その見えない多くの力を感じたり、知ったりすることこそ勉強なのです。
実は、孔子も一人っ子でした。
孔子の父・叔梁こつ(いとへんに乞)(しゅくりょうこつ)は、孔子が生まれる前にすでに行方不明になっていて、孔子が3歳の時には亡くなっています。
母の顔徴在(がん ちょうざい)は、尼山というところで顔家の御墓を守る巫女でした。本当は結婚をすることも子どもを産むことも許されていない女性だったのです。
孔子は名前を「丘(きゅう)」と言いますが、山の中で友達もなく、お母さんとたった2人で15歳まで暮らしました。
孔子が生まれた場所はいまも残っています。許可がなければ入れないほどの山奥です。友達もなく、先祖をまつる祭礼のまねごとをして遊んでいたと伝えられています。
さて、お母さん、そろそろ人と自分を比べることを止めましょう。
流産や経済的な問題など、気持ちを暗くする要因などは、探せばいくらでも見つかります。でも、「自分は自分」でいいのではないでしょうか。それより、お嬢さんを思いきり可愛がってあげてください。
お仕事の後の炊事は大変だと思いますが、4歳のお子さんに手伝ってもらって、夕飯を一緒に作ってみてはいかがでしょうか。子どもは、お母さんと一緒に料理や掃除をすることを楽しく感じるものです。子ども用の、刃がない包丁や小さなモップもあります。
とくに料理は、ニンジンや大根を切ってその硬さを知ったり、インゲン豆の両端からスジをツーッとひっぱって取ったりするなど、親子でやるとテレビやゲーム以上におもしろいものですよ。盛り付けもお子さんに任せましょう。色とりどりにきれいに盛り付けできると、おいしさも百倍になることでしょう。
前述したように、孔子は幼い頃、祭礼のまねごとをして遊んでいました。お母さんと一緒にする料理は、お母さんのまねで、これこそ「ままごと」ですね。子どもは、こうした「まね」をして成長していくものなのです。
孔子は言っています。「力足らざる者は、中道にして廃す。今、女は画れり」(雍也第六)。
これは「本当に君に力がないのなら、途中で挫折して引き返すはずだ。今、君は、自分の限界をはじめから決めてかかっってしまっている。それではダメなのだ」という意味で、「人生は難しい」「孔子先生の道を修めるのは難しい」と嘆く弟子の冉求(ぜんきゅう)を叱った言葉です。
お母さん、人と自分を比べるより、たった一人、かけがえのない大切なお嬢さんと楽しみながら、どんどんハードルを乗り越えていってください。「取り残された」というような気持ちで、自分やお嬢さんの可能性を「画(かぎ)って」しまいそうな時には、孔子の言葉を自分に言い聞かせてみてください。
【まとめ】
きょうだいと同じ愛情を捧げるべき人は、世界中に無数にいます。他人と比べて親子の持つ可能性を見限らないで